
──北京五輪後の2009年から指導している寺川綾選手がロンドン五輪で銅メダルを二つ取りました。指導は順調でしたか。
実は11年12月、綾と派手に言い争いました。イライラした態度で練習していたので「しっかりやれ」と怒鳴りつけると「取材や周囲の期待がストレスになっている」と爆発されました。「自分の勝ちたいという気持ちが周囲の期待に勝らないからプレッシャーに負けるんだ」と諭しました。

──寺川選手は年明けに取材陣の前で「ロンドン五輪でメダルを取る」と公言しました。
壁を乗り越えたと安心しました。練習もすごく順調になりました。
平井伯昌コーチは選手が意識を高めるためには明確な最終目標を持つことが大切であると説く。実力が同じでも目標の高い選手のほうが努力し、現状に甘んじない強さを持つからだ。
──言い争いした時期はどのように指導していたのですか。
「~しなさい」と指導する「ティーチング」です。
──一方的に教え込むティーチングを続けるだけでは選手が指示待ち人間になってしまうという考えをお持ちです。世界レベルの選手は「どうすればいいと思うか」と質問して考えを引き出す「コーチング」に進んでいるのでは?
ティーチングからコーチングに移ったらコーチングだけをやるというわけではありません。大事な局面や選手の状態に応じてきめ細やかなティーチングを取り入れることも必要です。
もちろん基本的には、一生懸命やる癖と心構えを身に付けるティーチングを経て、コーチングに移ります。移行するためには選手自身で考える癖をつけさせます。すぐに不調になる選手は原因を説明できない。好記録を出したときも理由を説明できないので再現性が低くなるのです。 上田春佳(ロンドン五輪女子メドレーリレーで銅メダル獲得)が高校1年生のとき、好記録を出したので理由を尋ねたら「適当に前半から頑張ったからですかね」といい加減に返してきたので、「もう一回言い直せ」と怒った。
すると少し考えて「前半から思いっ切りいかないと駄目だと思って、最後は呼吸しないで頑張りました」と答えました。自分でレースを振り返らせ、言葉で説明させると選手の理解力が高まります。
泳ぎだけでなく
心も見抜いて指導
──上田選手はとてもおおらかな性格と聞いています。性格の異なる選手たちとどのように関係を築くのですか。
愛情の反対は憎しみではなく、無関心であるといわれます。特に女子は関心の有無に敏感。意識的に声がけしますが、これは彼らの性格を知る上でも大切なこと。個々の思考回路がわかると、指導に生きる。直接のやりとりだけでなく、周囲からも選手が何を思っているのか情報収集します。

選手の身体的特性、精神的特性によって目標に向けた道のりの設定、練習方法、レース前にかける言葉も変わるという。指導者は泳ぎ以外の心の動きまで見抜かなければならない。また、一流の選手たちはコーチの心を見抜こうと努める。特に北島康介選手とは心の読み合いだった。
──北島選手は平井コーチの下で五輪の3大会を戦い、北京五輪後に米国へ渡りました。なぜお二人は離れたのですか。
彼の思考回路は私と似ていて、成功をパターン化しないという意識が強い。今の泳ぎを捨ててアンバランスを生み出していかない限り、次のステップには進めません。それに新たなモチベーションを持たないと過去を追うことになる。ロンドン五輪に向き合うために彼は環境を変え、自分自身でプロデュースするという挑戦に臨んだのでしょう。

銀メダルを獲得。
彼がすごいのはコーチたちが何を考えて言葉を発しているのかを一生懸命理解しようとすること。今でもあうんの呼吸で気持ちが通じ合う。
彼を指導していたころ、私が他の仕事をしていると彼は自分で考えなければいけないんだと察して、徐々にセルフマネジメントをするようになっていきました。
コーチの役割は選手のキャリアアップによって変わっていくと平井コーチは考える。アテネ五輪までは北島選手をリードしていたが、北京五輪前は北島選手が自ら目標を立てるようになり、平井コーチはサポート役に徹した。
「己を知る」だけでは
金メダルに届かない
──競泳日本代表は過去最多のメダル11個を獲得しましたが、金はゼロ。今後の課題は何ですか。
競泳に限らず日本代表全体で気になったのは、銀や銅を取った選手に「自分たちのプレーはできた」というコメントが多かったこと。『孫子の兵法』に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」とあるように、敵を知らずに己を知っているだけでは一勝一敗に終わる。自分の泳ぎができても、向こうの泳ぎを上回らねば勝てません。
アテネ五輪で康介に金メダルを二つ取らすという計画を立てたときに「記録」と「勝負の経験」を重視しました。やはり世界記録を目指さなければいけない。それと競りかける勝負の経験がないと、ライバルに勝っても伏兵に負けたりする。この二つを次の4年で考えていかなければなりません。
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