事業でことごとく失敗も、副業で大成功 直木三十五(後編)

いつの時代も悩み多き「どう働くか」問題。経済記者のかたわら『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)など執筆活動で活躍する栗下直也さんが書く偉人たちの働き方列伝。時代や個性に合わせた「働き方」が見えてくる!!!!

直木賞に名を残し、「名前は聞いたことがあるけれども作品をしらない作家」の代表例ともいえる直木三十五。小説家として本格的に活動したのは5年程度で実業家としての顔が大きかった。生来の「人たらし」を発揮し仲間と出版事業を興すも、カネにルーズなこともあり、追い出された形となった直木は、関東大震災が起き、出生地の大阪に戻る。

とりあえず稼がねばならない。直木は出版社に社員として入社する。そして、副業として、東京時代に仲良くなった菊池寛が創刊した「文藝春秋」にエッセイを定期的に寄せ始める。この頃の直木は自社で発行する雑誌に小説を書いていたものの、エッセイストとして知られ始めていた。

文壇ゴシップのようなものも多く、「直木の辻斬り論法」とも呼ばれた辛辣な文体が受けに、受けた。あるときは、あまりの書かれっぷりに、若き頃の横光利一がぶち切れ、怒りのあまり「菊池寛と直木はクソだ(大意)」のような原稿を新聞に持ち込み、発表しようとしたが、友人の川端康成がいさめた。あのとき、横光がそのまま強行突破していたら、戦前、「小説の神様」と持ち上げられることも戦後に戦犯として追及され、失意のまま亡くなることもなかったのかもしれない。

ちなみに、直木が菊池寛と知己をえたのは、直木が起業する前に勤めていた会社で、大阪の美術関係者をスポンサーにして講演会を企画したのがきっかけだ。菊池や芥川龍之介、久米正雄などを招き、案内役を務め、接待したところ、「面白いヤツだ」となった。真夜中に無言でいきなり山の中の遊里に連行するなど、ムチャクチャなのだが、それが逆に作家たちに強烈な印象を残した。失敗したとはいえ、東京で出版社を人のカネで興したことからもわかるように、「人たらし力」が尋常ではないのだ。

雑誌の成長期にタイミング良く世に出たことで、会社をやめて、作家道を邁進するかとおもいきや、直木は同じく勃興期にあった映画産業に商機を見いだす。当たれば、実入りが出版業界とは比べものにならないほど大きいことに惹かれたからである。本来、チマチマとマス目を埋める生活は直木の性に合わないのだ。

とはいえ、これまで接点がなかった映画事業に直木がなぜ興味をもったか。後に「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三が直木の小説(務めていた会社の雑誌に掲載されていた)をたまたま読み、映画化を直木に要望したのがきっかけだ。だからといって、普通の感覚ならば、自分で映画製作しようとはならないだろう。あくまでも原作を映画化したいというだけなのだから。ところが、直木は牧野のオファーを契機に牧野に取り入り、映画事業にどっぷりつかるようになる。

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栗下直也

何の仕事をするかと同様にいつの時代も悩み多き「どう働くか」問題。自身も経済記者のかたわら『人生で大切なことは泥酔に学んだ』など執筆活動で活躍する栗下直也さんが、偉人たちがどうやって働いてきたかにスポットを当てます。時代や自分に合わせた...もっと読む

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