そなたは城取りを継ぐ者なのだ」|もっこすの城 熊本築城始末

熊本城に生涯を賭した築城家の一代記、感涙必至の戦国ロマン!
藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。

織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主となった加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎――。戦乱の世に翻弄されながらも、次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

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プロローグ

 その話を聞いた時、木村きむら次郎左衛門じろうざえもん忠範ただのり高重たかしげ)は、わが耳を疑った。

「京都で右府うふ様が討たれただと」

 忠範の形相があまりに恐ろしかったのか、使いの者は一歩、二歩とあとずさった。

 ──あのお方が死ぬはずはない。

 ほんの二日前の五月二十九日、安土あづち城を颯爽さつそうと出陣していった信長のぶながの姿には、死の影など微塵みじんもなく、まぶしいばかりに天下人としての威厳にあふれていた。

「いまだ確かな話は入ってきておりませんが、御番ごばん衆筆頭の蒲生がもう様より、御番衆を集めるよう仰せつかり、それがしがせ参じました」

 御番衆とは安土城の留守を預かる者たちのことで、本丸御番衆として津田源十郎つだげんじゆうろうら七名、二の丸御番衆として日野ひの城主の蒲生賢秀かたひでら十四名の合計二十一名から成っている。城主信長不在の間、この二十一名が様々な懸案を合議制で決めていく。

「ということは右府様が討たれたというのは、間違いないようだな」

「おそらく──」

 使いの者の蒼白そうはくな顔を見れば、真実は明らかだった。

「分かった。すぐに登城する」

「一刻も早くお願いします」

 そう言い残すと使いの者は、肩の荷が下りたかのように走り去った。

こと!」

 奥に向かって叫ぶと、妻の琴が小走りにやってきた。

「これから登城する」

 琴が不思議そうな顔をする。

「今日は、大船止おおふなどめの普請を指揮するご予定ではなかったのですか」

「それどころではなくなった」

「何があったのです」

 胸騒ぎを感じたのか、琴の顔に不安の色が広がる。

「それを確かめに行く」

 なおも何か問いたげな琴だったが、それ以上は口を閉ざし、登城用の肩衣かたぎぬに半ばかまを用意した。

 ──右府様横死おうしが事実だとしたら、織田おだ家やわれら家臣はどうなるのか。いや、それを案ずるより、今は託された使命を全うするだけだ。

「琴、城に甲冑かつちゆうを運ばせておいてくれ」

「甲冑を──。どういうことです。あなた様は普請奉行ではありませんか」

 琴の顔が青ざめる。

「万が一のためだ」

「まさか、いくさになるのですか」

「それは分からんが、そうなっても慌てずにいたいのだ」

「分かりました」

「では、行ってくる」

 忠範が表口まで出た時、息子の藤九郎とうくろうが駆け込んできた。

「あっ、父上!」

「藤九郎、どうした。学問所に行ったのではなかったのか」

「変事があったと聞き、帰宅を命じられたのです。いったい何があったのですか」

「落ち着け。まだ定かなことは分かっていない」

「とは仰せになられても、町衆が右往左往し、荷車に家財道具を積み込んでいます」

 町衆でさえそうした状態になっているということは、信長の死は確実だった。

 ──もはや、右府様の死を念頭に置いて動かねばならんな。

 それでも信長が生きているという一縷いちるの望みを、忠範は捨てきれないでいた。

「藤九郎、京で何かあったのは間違いない。だが雑説ぞうせつうわさ)に惑わされてはならん。それが、こうした際の武士の心得だ」

「承知しました」

「かような時こそ、武士としての真価が問われるのだ」

 その言葉は己に向けられていた。

「あなた様、何があったか教えて下さい」

 背後から琴の声が聞こえた。

 ──致し方ない。もはや会えぬかもしれんからな。

「二人とも心して聞け。右府様が何者かに襲われ、身罷みまかられたという話が届いた」

「ああ、何と──」

 琴が絶句する。

「父上、右府様は誰にやられたのです」

「定かなことはわしにも分からん。だが騒いだところで何も変わらん。藤九郎──」

 忠範が藤九郎の両肩をつかむ。十四歳になる息子が、いつになく頼もしく見えた。

「何があっても動じるでないぞ」

「は、はい」

「お城が戦場となれば、わしはもうこの家に戻れぬ。その時は──」

 なぜか言葉に詰まった。おそらく「戻れない」という予感は正しいのだ。

「母上と弟妹ていまいを連れて逃れるのだ」

「父上はどうするのです」

「わしは城に残る」

「父上、私にも何か手伝わせて下さい」

「そなたの役目は、母上と弟妹を守ることだ。分かったな」

「は、はい」

 藤九郎が不承不承うなずく。

「藤九郎、決して短慮を起こしてはならんぞ。そなたは戦場を主たる働き場とする武士ではない。城取りを継ぐ者なのだ」

 城取りとは、城を取り立てる際の選地から経始けいし(縄張りと事前準備)、さらに実際の普請(土木工事)と作事(建築工事)全般を指揮する統括者のことだ。

「城取りを継ぐ者、と」

「そうだ。城取りの秘伝書ひでんのしよは、わしのおいの中に入れてある。それを背負い、今からすぐに甲賀こうかの里まで逃げるのだ。さすればそのうち、三介さんすけ様の軍勢が伊勢いせからやってくる」

 三介とは信長の次男の信雄のぶかつのことだ。この頃、信雄は伊勢松ヶ島まつがしま城を本拠としており、安土まで一日の距離にいる。

「三介様が安土に向かう途次に甲賀がある。それゆえ三介様の軍勢が来たら父の名を明かし、守ってもらえ」

 忠範が藤九郎の両肩を再び摑む。

「承知しました。それで父上は、どうなされるのですか」

「それを、これから皆と話し合う。運がよければ──」

 忠範が二人を交互に見つめた。

「伊勢で会える」

「それは本当ですか」

 琴が身を寄せる。

「ああ、命は惜しくないが、これまで身に付けた知識と経験を、織田家のためにまだまだ役立てたい。そのためにも、わしは生きたい」

「そのお言葉を信じております」

「父上、必ずや母上、藤十郎とうじゆうろうさとの三人を守ります」

 藤十郎とは藤九郎の五歳下の弟、里とは七歳下の妹のことだ。

 一瞬言葉に詰まったが、忠範は思いきるように言った。

「藤九郎、わしの身に何かあっても、そなたは一廉ひとかどの者になるのだぞ」

「はい。誓って一廉の者になります!」

「笈の中の秘伝書を、そらんじられるまで頭に入れておくのだ。さすれば必ず報われる」

「分かりました。必ずや──」

「よいか、藤九郎。これだけは忘れるな。城とは人を傷つけるものではなく、人を守るものだ。それを常に思い出し、城取りという仕事に誇りを持って生きろ!」

「はい。そのお言葉を忘れません!」

 その時、通りの彼方かなたから藤十郎と里が駆けてきた。二人は小さいので、藤九郎とは別の学問所に通っていた。

「父上、どこへ行くのですか!」

 藤十郎はすでに泣きつらである。

「お城に行く。そなたらは、母上と兄上の言うことをよく聞くのだぞ」

 二人の頭をでた忠範は、未練を断ち切るように城の方を向いた。

「あなた!」

「父上!」

「では行く。達者でな!」

 忠範が駆け出す。背後から「父上!」という幼い声が聞こえてきたが、忠範は振り向かずに走った。

 忠範たち中堅武士が住む山下町さんげまちからは、安土城の天主がよく見える。それを見つめながら忠範は、「お城は守り抜きます」と心中で信長に告げた。


 城に近づくにしたがい、混乱はすさまじいものになっていた。人の波に逆らうようにして城に着くと、百々橋口どどばしぐちにいるはずの門番がいない。これでは誰もが自由に出入りできてしまう。

 ──何たることか。

 信長の下、比類なき規律と強さを発揮してきた織田家中も、その大きな幹が折れてしまえば、烏合うごうの衆も同然なのだ。

「馬の脚」と呼ばれる不規則な高さの石段を駆け上がっていると、下級武士や中間ちゆうげん・小者が、城内のどこからか何かを持ち出しているのに遭遇した。

 ──どさくさに紛れて盗んでいるのだな。

 いかにも主人に命じられたという顔をした中間数人が、大きな長持を担いで石段を下りていくのを見掛けた。しかし誰もとがめる者はいない。

 だが忠範は、そうしたことにかかわっているわけにはいかない。石段を一気に駆け上がった忠範は、摠見寺そうけんじの境内を抜け、本丸御殿に入った。

 混乱は御殿内も同じだった。吏僚りりようや茶坊主が足音もけたたましく長廊ちようろうを駆け回り、女房衆が悲鳴を上げながら、打掛うちかけひるがえしている。

 ──まず皆を落ち着かせなくては。

 そのためには信雄の入城が一番だが、それがいつになるかは分からない。

 千畳敷に飛び込むと、まだ半数余りの御番衆しか来ていない。

「おお、木村殿、よくぞ参った!」

 番衆頭の蒲生賢秀の顔に笑みが浮かぶ。だが、その笑みもたちまち消えた。

山岡やまおか殿はどうした」

 賢秀が山岡景佐かげすけの姿を探すが、どこにもいない。

 山岡屋敷まで使いに行ってきた者によると、山岡景佐は兄の景隆かげたかが守る瀬田せた(勢多)城まで行き、確かな情報を持ってくると言い残し、安土を後にしたという。

「勝手なことをしおって」

 賢秀が舌打ちする。

「山岡殿のほかに、まだ来ていない御番衆はどうした」

「実は──」

 それぞれの屋敷に行ってきた者たちが報告する。

 案に相違せず、来ていない者たちは様々な理由を構えていたが、それらが逃げ口上にすぎないのは誰もが分かっていた。

 報告を聞いた賢秀が肩を落とす。

「これが右府様の信頼厚い安土の御番衆か」

 ──皆、わが身が大事なのだ。

 こうした危急の折にこそ、人としての本性が現れる。

「分かった。ここにいる者だけで評定を始める」

 賢秀は評定の開始を告げると、すぐに本題に入った。

「本日未明、右府様は京都本能寺ほんのうじにて──」

 賢秀の声が震える。

「身罷られた」

「それは間違いないのですか」

 誰かが悲痛な声で問う。

「ああ、間違いない。京都にいたわが家臣が知らせてきた。それだけではない。信頼できる者たちから、相次いで同じ話が入ってきている」

左中将さちゆうじよう様は──」

 左中将とは、信長から家督を譲られた長男信忠のぶただのことだ。

「残念ながら、左中将様も討ち取られたか自刃じじんなさったという話だ」

「誰が──、誰が右府様を襲ったのです!」

惟任これとう謀反むほんと聞いた」

 ──まさか、右府様の覚えめでたい明智光秀あけちみつひでが。

 予想もしなかった名に、忠範はわが耳を疑った。

 ──つまり、あの戦上手の惟任に率いられた明智勢が、ここに押し寄せてくるというわけか。

 明智勢の整然とした規律と、その強さは織田家中随一と言ってもいい。

 皆もそれに気づいたのか、いったん息をのむように沈黙すると、次の瞬間には大騒ぎとなった。

「静まれ」

 賢秀が両手を挙げて皆を鎮める。

<次回は10月30日(金)更新です>

『もっこすの城 熊本築城始末』刊行記念対談https://cakes.mu/posts/32024

コルク

この連載について

もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

熊本城に生涯を賭した築城家の一代記、感涙必至の戦国ロマン! 藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤...もっと読む

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