どうも。
毎年10月31日に行われる祭り、ハロウィン。
古代ケルトが起源で、元々は「悪魔に生贄を捧げる」という宗教的意味合いを持つ儀式だったのですが、最近ではその意味合いは薄れ、世界各国で楽しまれるイベントになりました。
ハロウィンの時期になると、先祖の霊や悪霊達がこの世に蘇ってくると言い伝えられているそうです。
仮装して楽しむ人々の中に、本物の幽霊が紛れている……なんてこともあるのかもしれませんね。
今宵、皆さんにお届けするのは、そんな、「幽霊」にまつわる物語……
……ではなく、
ハロウィンの時期になると、私の脳内に必ず蘇ってくる、「封印されし闇の記憶」の物語です。
忘れたくても忘れられないトラウマが、悪霊と共に蘇ってきたようです………
さて、世にも奇妙な物語のBGMが聞こえてきそうな雰囲気に包まれた所で、
始めていきましょうか。ゴー♪
明日海りおさんとの出会い
涙涙のうちに花組の太陽である蘭寿さんがご卒業された(前話参照)。
そして、新たなる花組のトップスターに、明日海りお(あすみ・りお)さんが就任されることになった。
明日海さんは、月組さんから組替えで花組にいらっしゃり、『戦国BASARA』、『愛と革命の詩(うた)ーアンドレア・シェニエー/Mr.Swing!』そして蘭寿さんのサヨナラ公演『ラスト・タイクーン』でご一緒した後の就任だった。
明日海さんは、下級生の時から別組ではあれど、物凄く憧れの存在だった。
宝塚音楽学校時代、『想夫恋(そうふれん)』という公演をバウホールに観に行き、当時研究科3年の明日海さんの堂々たるお芝居に圧倒され
「自分は3年後にあれだけの素晴らしいジェンヌさんになれるのだろうか……?」
と、帰り道に自問自答したものだ。
組替えの直前も、『ロミオとジュリエット』を観劇し、自分と3期しか離れていない明日海さんのパフォーマンスにおける責任感と、とんでもない程の美貌と、とんでもない程のスター性に度肝を抜かれたばっかりだったので、まさか、その明日海さんと花組でご一緒できるなんて……。
いつも、心の中で素敵だなあと思いつつも、接点が全くなく一度も会話したことが無かった明日海さんと、同じ屋根の下(語弊アリ)同じ組子としてお話することができるなんて……!
私の心はルンルンに跳ねていた。
しかし、実際にご一緒すると、そんな「ワンチャンお話できっかも。イェイ!」みたいなテンションは、「この方をもっと知りたい!」という、深い探求心に変わっていった。
明日海さんは、自分の演じる役所、歌唱する曲、ダンス、など、表現するにあたっての「読解力・理解力」がずば抜けていた。
この役を通してお客様に何を感じ取ってもらいたいか、このナンバーは、この役のビジュアルは…… 全てに関して、「自身が表現するにあたって」という枕詞が付いていて、明日海さんにしかできない最高のビジュアルとパフォーマンスを届けてくださる。
いつも、ぐるぐる悩んではいるが、最終的にカンで突き進む私にとって、明日海さんは憧れの存在でしか無かった。
この方に必要とされる組子でありたい…… 新トップスターさん就任後、自分の目標がしっかりと定まった。
それとは裏腹に、「ワンチャンお話できっかも。イェイ!」みたいなテンションも健在だった。
だが、こう見えて自分から話しかけることが苦手で、ことごとく「第一印象オワタ大賞」を受賞している私は、なかなかワンチャンを掴めずにいた。
そんな中、10年に一度の宝塚歌劇団大運動会が開催されることになった。
ここで、成果をあげるしかない!
私は確固たる決意を胸に、運動会の幹事に立候補したのだった……。
再び運動会~Tama~
今から約6年前……(ろ、ろくねんまえ!!小学校卒業できんじゃん……矢のごとしだわー)
2014年10月7日に、大阪城ホールにて「宝塚歌劇大運動会」が開催された。
花組は、明日海さんがトップに就任したお披露目公演『エリザベート』の、東京宝塚劇場公演初日の4日前という、とても多忙な中の開催だった。
研究科9年生、自身にとって二度目となる運動会の出場であった。
前回は、宝塚音楽学校に合格した年が創立90周年だったので、その年に音楽学校生として出場した(8話参照。ちなつ《鳳月杏》が椅子取りゲームで無双したってやつ)。
今回は創立「100周年」という、節目 of 節目の開催。
「この記念すべき年に何が何でも優勝するぞ」と、花・月・雪・星・宙の5組と、専科さん+音楽学校生の6チームは、燃えに燃えていた。
前回は、最下級生の身での出場だったので右も左もわからず、出場した玉入れでは、よくわからないまま敵チームに玉をお渡しするなどの愚行に走ってしまった。
しかし、それから10年、様々な経験を経て、今や立派な花組の余興芸人(立派な男役……とかではない……涙)の道をタンバリン片手に進んでいた私は、確固たる決意を胸に、運動会の幹事(実行委員)に立候補した。
当時の幹事は、副組長である紫峰七海(しほう・ななみ)さんを筆頭に、現雪組トップスターの望海風斗(のぞみ・ふうと)さんなど、錚々たるメンバーだった。
入場行進のコンセプトや各競技のメンバーの采配など、幹事の仕事は山積みで、自分達の得意分野で振り分けて担当した。
私の担当は…… 今までに無かった初めての種目、「ダンシング玉入れ」の「ダンシングの部分の振付」だった。
課題曲は、タカラヅカファンの方にはおなじみ、「魅惑のサンバ」だ。
ダンシング玉入れは、基本的には玉入れなのだが、不意に「魅惑のサンバ」がかかったら、玉入れを中断し、チームで踊らなければならない、というルール。玉の数と、ダンスの完成度の、2つの点数で競う。
いつも、余興などでオリジナルダンスを披露していたので、きっとこういったものも得意だろう、ということで担当することになったのだが……
正直なところ、自分に振付の才能は「皆無」だった。
私のフリースタイルは、「余興」というフィールドでしか開眼できない。
「種目」という畏まった空間では、「私なんかで良いんですかい……?」と、 たちまち委縮してしまう。
だが、絶対に優勝したい。優勝できなくとも、人々を笑顔にするダンシングをお届けしたい…… 悩みに悩みぬいた私に、天の声が囁いてきた。
「ここは一丁、フィーリングで!!!」
……こうして、「エリザベート」公演で、ツェップスという革命家の役(いつになく真剣な役)を演じていた私は、時の流れを顔に施している最中(平たく言うと皺とか白髪をこれでもかと自分に塗り付けたり張り付けたりしているとき)に、「魅惑のサンバ」を聞いて、一発で降りてきた振付をそのままチームに伝授した。本気で30秒くらいで振付できた。
まさにコンテンポラリーダンスだった(違う)。
そして迎えた運動会当日……
玉入れとダンスが錯綜する、想像の5倍くらい複雑怪奇な競技に翻弄されかけたが、 チーム一丸となって笑顔を絶やさずに踊り切った。
しかし…… 結果は、玉の数も、ダンスの点数も芳しくなかった……。
自分のせいだ…… がっくりと肩を落とし、自席に戻った私に、同期が目を爛爛と輝かせて「聞いて!」と話しかけてきた。
ぶっちゃけ今そんなテンションじゃないぜ…… と思いつつ、相槌を打つと、
「花組のダンシングの時、尚すみれ先生(いつもクールで滅多に笑わない先生)が手ぇ叩いて爆笑しててん!!」
………マジか!!!
その言葉で私の心は一気に晴れた。 尚先生が笑ってくださった……ならもうそれでいいじゃないか。
試合に負けて、勝負に勝った。 そんな気持ちに包まれたのであった。
再び運動会~Thuna~
先の話の一体どこが「封印されし闇の記憶」なのだ……?と思った方もいるだろう。
先の話は……「封印されし闇の記憶」でもなんでもない。
闇の存在に怖気づいた私は、つい別の話をお届けしてしまっただけだ。
それだけ……この封印は解いてはならない、と頭の中で「ステイ!」がかかっている……
しかし……今……その封印を解くときが来た…… 私はコクリと頷き、覚悟を決めた。
——ここから先は心してお読みいただきたい。——
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