(前回からのつづき)
「片想い」の心理を分析する
前述のとおり、恋愛という見地に立つと、『友情』における恋愛の形態は、「片想い」「叶わぬ恋」「失恋」の3つです。以下、それぞれ考察してゆきます。
まずは「片想い」からです。『こころ』を考察する際に「恋愛バブル」については触れましたが、恋愛バブルが生じたときの心理状態やその推移についてはまだ述べていませんでした。この小説は、人生で初めて恋をするとどのような心理になるかが克明に描かれています。
人は誰かを好きになると、初期段階として片想いとなりますが、心の中では次のような心理的段階を経ています。
①恋愛バブルの萌芽
恋愛バブルで最初に起こるのは、相手のことがいちいち「気になる」心理です。これは恋愛感情としては淡いものですが、いったん芽生えた恋の種が発芽すると、やがて大きな感情をともなう恋愛バブルの花が咲くことになります。
②妄想
次の段階は「妄想」です。二人だけの甘い時間を夢見るようになります。いろいろと現実にはありえない想像をするようになり、妄想をしている時間自体が楽しく感じられます。
③トキメキ
この段階から恋愛バブルが本格化します。その人のことを考えるだけでので心拍数が上昇し、心躍るような「トキメキ」の感覚に支配されます。
④美化
恋愛バブルとはインフレ感情であり、相手を徹底的に「美化」することになります。自分が理想化した偶像を好きになるわけですから、際限なく好きなままでいることができます。
⑤嫉妬
恋愛には当然競争相手が現れる可能性があります。その人が異性と話しているだけで、嫉妬で身を焦がすような思いに苦しみます。叶うなら競争相手を排除したいと願いますが、多くの場合はそうもいかず、悶々とした時間を過ごすことになります。
⑥一喜一憂
妄想だけでは物足りないので、実際に話しかけてみたくなります。ただし、恋愛バブルが生じていると平常心が失われているため、うまく会話が続かなかったり、トンチンカンな会話になったりもして、自己嫌悪に陥りがちです。逆に、会話が盛り上がり、相手から褒められたりするとそれだかで有頂天になります。相手と自分がどういう会話を交わしたかで激しい感情の起伏が生じます。
通常は、以上のような心理を経たのちに行動が開始されて、
・二人きりでデートしたい
・その人と手をつなぎたい
・キスしたい
・肉体的に結ばれたい
と続くのですが、この『友情』では片想いのみで終わります。実篤は性的な描写を一切排除していますので、この4つの願望は作品中には描かれません。
こうした片想いは、早熟な人では幼稚園のときに淡い感情としていだくものです。あの子のことが気になるとか、気になるから逆にいじわるをしてみるとか……。幼い頃の恋愛は屈折しているので、自分が好きという現実をストレートに表現することが難しい場合もあります。
一方、『友情』ではたいへん直接的な表現で上記の片想いの感情が描かれています。段階ごとに次頁の図3−2にまとめました。野島の言動が片想いの心理の推移にぴったり符号するのがおわかりでしょう。野島の苦しくも楽しくもある恋愛心理を臨場感ある描写で感じとることができます。
図3−2 片思いの兆候と『友情』における描写
なお、こうした片想いですが、積極的に勧められる恋愛の形態ではありません。一方的に想い続けるのには限界がありますから、早期にこの状態から脱して相思相愛になりたいものです。しかし、告白してふられたら、ショックで立ち直れません。傷ついて泣くくらいだったら、片想いのままの方がいいと思ってしまうのが通常の心理です。とくに女性の場合は、傷つくことを恐れるあまり、片思いのままでいる方を選びがちです。
野島も告白したいのは山々でしたが、どうしても勇気がでませんでした。結局、大宮がパリに行ってから1年後に仲介者を通じて結婚の申し込みをするわけですが、遅きに失した感があります。
市場原理から考える「叶わぬ恋」
続いて考察したいのは、「叶わぬ恋」についてです。野島がなぜふられたのかを分析するにあたって、もっとも参考になるのは「恋愛均衡説」です。
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