登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
ノナ:ユーリの同級生。 ベレー帽をかぶってて、丸い眼鏡を掛けていて、ひとふさだけの銀髪メッシュ。 数学は苦手だけど、興味を持ってる中学生。
《先生ノナちゃん》の応答
僕「二つの三角形で三組の辺の長さがそれぞれ等しいならば、その二つの三角形は合同だよね。ノナちゃんは、いま僕が言ったこと、納得できる?」
ノナ「はい$\NONA$」
僕「コンコン、コンコン。《先生ノナちゃん》、いらっしゃいますか」
彼女の中には二人いる。一人は生徒役で、もう一人は先生役。《生徒ノナちゃん》と《先生ノナちゃん》と呼ばれている。
もちろんそれは、仮想的な存在だけれど、僕たちが作った大切な共通認識なのだ(『学ぶための対話』参照)。
- 《生徒ノナちゃん》は、数学に興味があって学びたい。
- 《先生ノナちゃん》は、それを応援して理解を助けたい。
そして僕はいま《先生ノナちゃん》にアクセスしている。
ノナ「何でしょうか$\NONAQ$」
僕「『二つの三角形で、三組の辺の長さがそれぞれ等しいならば、その二つの三角形は合同だ』と言ったんですが、《生徒ノナちゃん》は本当にわかっているみたいですか?」
僕は《先生ノナちゃん》にていねいに問いを送り……そして待つ。
《先生ノナちゃん》が、自分の内なる《生徒ノナちゃん》を観察し、対話を重ね、その結果を持ち帰ってくるまで。
しばらく経って、ノナは口を開く。
ノナ「『当たり前なのになんで聞くんだろう』って思っている……みたいです$\NONA$」
僕「なるほど」
なるほど。そういうことか。
僕が「納得できるか」と尋ねたときに、ノナは「はい」と答えた。
でも、彼女の中では何かが引っかかっている雰囲気があった。
それは《これ》が理由なんだな。
ノナ「重なるから……辺の長さは等しい$\NONA$」
僕「うん、そうだね。ノナちゃんが考えているのは『合同ならば、三組の辺の長さは等しい』ということだね。僕が言ったのは『三組の辺の長さが等しければ、合同だ』ということ。この二つの主張は、違うことをいってる」
ノナ「難しい$\NONA$」
僕「ここは、数学において大切なところだから、ゆっくりいこう。この二つの主張は違うことをいってるんだよ」
- 合同ならば、三組の辺の長さは等しい
- 三組の辺の長さが等しいならば、合同である
ノナ「どっち……どちらがまちがいですか$\NONAQ$」
僕「どちらも正しいよ。もしも二つの三角形が合同ならば三組の辺の長さは等しいし、逆に三組の辺の長さが等しいならば合同になる。これはどちらも正しい。 僕が言いたかったのは、つぎの二つは違うってこと」
- (1)Pならば、Qである
- (2)Qならば、Pである
ノナ「$\NONA$」
僕「この(1)と(2)が違うことを主張しているというのはわかる?」
ノナ「大丈夫……大丈夫です$\NONA$」
ノナは自信ありげにうなずく。うん、これはわかっているみたいだ。
そうか……では、ちょっと挑戦してみよう。
僕「ノナちゃんは、(1)と(2)のような例を作ることはできる? どんなことでもいいから」
ノナ「だめです$\NONA$」
ユーリ「えー、何でもいいならすぐできるよー」
ノナ「ノナは、あたm……だめです$\NONA$」
僕「たとえば、この二つは違う主張だよね」
- どら焼きならば、おいしい
- おいしいならば、どら焼きである
ノナとユーリは、僕が出した「どら焼き」の例に軽くウケる。
そして「おいしいからといって、どら焼きとは限らないじゃん!」というユーリの言葉を皮切りに、二人は美味しいスイーツの話を始めた。
でも、僕は内心、論理を教えることの難しさに気がついた。
僕はさらっと、命題とその逆について説明しようと思ったんだ。$P$と$Q$を命題として、
$$ \begin{align*} P \to Q \\ Q \to P \\ \end{align*} $$
は違う命題だと。
でも、どらやきの具体例を出してみて気付いた。 三角形の合同について本当にいいたいのは、命題論理じゃなくて述語論理なんじゃないだろうか。
- 二つの三角形が合同ならば、三組の辺の長さが等しい。
- 三組の辺の長さが等しいならば、二つの三角形は合同である。
$$ \begin{align*} \forall x\, \PS{P(x) \to Q(x)} \\ \forall x\, \PS{Q(x) \to P(x)} \\ \end{align*} $$
もしも、$\forall x$を付けなかったら$P(x) \to Q(x)$の真偽は決まらない。自由変数$x$が残っているからだ。$x$を定めてはじめて真偽が決まる。
でも、ここであまり命題論理と述語論理の深みに入るわけにもいかない。
それに、話自体は伝わっている。
「どら焼きならば、おいしい」というのが「任意の$x$に対して、$x$がどら焼きならば、$x$はおいしい」という意味だと彼女たちにはちゃんと伝わっている。
また、 「おいしいならば、どら焼き」というのが「任意の$x$に対して、$x$がおいしいならば、$x$はどら焼きである」についても伝わっている。 伝わっているからこそ、これを偽にする例、すなわち反例をあっというまに見つけたんだから。
うん、いまはむやみに形式的な論理の話にならないように進んでいこう。
僕「話を戻すよ」
ユーリ「何の話だっけ」
僕「この話だよ」
- (1)Pならば、Qである
- (2)Qならば、Pである
ノナ「この二つは……違います$\NONA$」
僕「そうだね。二つの三角形について『合同ならば、三組の辺の長さが等しい』というのと『三組の辺の長さが等しいならば、合同』というのは違う主張なんだ。違う主張だから、両方とも別々に正しいかどうかを確かめる必要がある。もっとも、二つの三角形を重ねればすぐに確かめられるけれど」
ユーリ「ふんふん。面積だと違うよね。『合同ならば、面積は等しい』は正しいけど、『面積が等しいならば、合同である』は正しくない」
僕「そうだね。それはうまい例だ」
ノナ「まわりも$\NONAQ$」
ユーリ「ノナのターン!」
ノナ「合同ならば、まわりの長さは等しいです……でも、まわりの長さが等しくても、合同じゃない$\NONA$」
僕「そうそう! 『二つの三角形が合同ならば、まわりの長さは等しい』は正しい。でも『まわりの長さが等しいならば、二つの三角形は合同である』は正しくない」
ユーリ「まわりの長さが等しいとき、合同のときと合同じゃないときがあるよね」
僕「そうだね。まわりの長さが等しいからといって、二つの三角形が合同であるとは限らないわけだ」
ノナ「大丈夫……大丈夫です$\NONA$」
うん、このタイミングで次に進もう。
ノナが一人じゃないことはすごく大事だな……と僕はあらためて思った。
「例を作る」という行動自体にも例がいる。
ノナに例を作ってもらうとき、つい「どんなことでもいいから」と言ってしまった。 それが彼女の助けとなると思ったからだ。 でも、そうじゃない。そうじゃないとわかっていたはずなのにな。
ユーリだったら「どんなことでもいい」や「何でもかまわない」と言ったとたん、すごい例を出してくるだろう。 しかし、ノナはまだまだそこまでは行けない。
何もないところでノナが例を作るのはまだ難しい。 でもそこでユーリが例を作ってみせるなら……つまりは「例を作る例」を示すなら、 それに導かれるようにしてノナも例を出せる。 しかもその例は、彼女が気に掛けていた「まわりの長さ」を使った例となっている(第303回参照)。 これは、すごく大事な体験じゃないだろうか。
さらに。
僕が、『まわりの長さが等しいならば、二つの三角形は合同である』は正しくないといったときに、 ユーリはめざとく命題と述語の差違を見抜いている。
そしてユーリが素早く『まわりの長さが等しいとき、合同のときと合同じゃないときがある』と語ってくれるから、 ぼんやりと生じかねない疑念を留めることができる。
もちろん、その疑念の解決は、きっとどこかで改めて行わなくてはいけないのだけれど……
二辺夾角相等
僕「二つの三角形があって、二組の辺の長さがそれぞれ等しくて、その辺ではさまれている一つの角の大きさが等しいときも、 合同になるよ。このことを二辺夾角(にへんきょうかく)相等と呼ぶこともある」
この連載について
数学ガールの秘密ノート
数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに14巻以上も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)