僕が宇宙をめざすわけ
テクノロジーが世界を変える。
この文脈で語るとすれば、僕がいまもっとも注力しているのは、やはり宇宙事業になる。これは金持ちの道楽でもなければ、ロマンチストの個人的な夢でもない。いたって真剣に取り組む、ひとつの事業だ。
はじめて「事業としてのロケット」を意識したのは、中高時代にまでさかのぼる。
中学1年生のとき、友人の次田くんと化学部を結成した僕は、当時からロケットに強い関心を持っていた。そして化学部を辞めて高校に上がったあとも、どうしてもロケットへの思いをあきらめきれず、化学教師の指導の下、ロケットの発射実験をおこなうことになる。ブタジエンゴムに過塩素酸カリウムを混ぜた固形燃料をつくり、遠心分離機でボール紙の筒に貼りつけ、ノズルをつけて、電極を使った着火装置で発射する。高校生にしてはかなり本格的なロケットだ。
発射するときのドキドキ、そしてうまく飛んでくれたときの自分が宇宙に近づいたような達成感は、いまでも克明に覚えている。
大学で文系に進んだこともあり、実験を続けることはできなくなった僕だが、ロケットのことはそれ以来ずっと考え続けてきた。もう一度チャレンジできる環境(資金や技術など)が整ったらすぐにでも着手しようと、常に専門書や科学雑誌に目を通し、情報収集に務めてきた。
これはよく誤解されるのだが、僕は自分が宇宙に行きたくて宇宙事業に取り組んでいるわけではない。宇宙に行きたいだけなら、お金を積めばそれでいいのだ。
たとえば日本人最初の宇宙飛行士となったのは、当時TBSの記者だった秋山豊寛さんである。彼は1990年12月にソ連の有人宇宙船「ソユーズ」に乗って、同じくソ連の宇宙ステーション「ミール」に1週間滞在した。このときTBSは、ソ連の宇宙総局に15億円ほどの金額を支払ったという。
じゃあ、それから20年以上経ったいま、宇宙行きの価格はどれくらいになっているのか。驚くべきことに、現在一人あたりの打ち上げ費用は7000万ドルを超えているのである。1ドル100円で換算しても70億円以上というわけだ。
なぜここまで高騰しているのか? 答えは簡単で、米国がスペースシャトルの運用を打ち切ったおかげだ。現在、商用利用できるほど信頼性を持った有人宇宙船を打ち上げられる国は、ロシアしかない。そのロシアでさえ、有人宇宙船を打ち上げられるのはせいぜい年に2~3回。市場原理が働かなくなり、70億円にまで高騰しているのだ。
僕の夢は、民間の手で有人宇宙船を生産し、一人あたりの打ち上げ費用を100万ドル以下、つまり1億円以下にまで引き下げていくことである。最終的には数千万円で宇宙旅行できるところまで持っていきたい。
人類初の宇宙飛行士、1961年のユーリ・ガガーリン以来、これまで500人あまりの宇宙飛行士が誕生している。こんな数字じゃまったく足りない。せめて数万人、十数万人の人間が宇宙に行くようになって、ようやくおもしろい変化が起きてくる。僕には到底思いつかないようなアイデアを出す人間も現れるだろうし、そんなバカなと呆れるようなこと——たとえば無重力ポルノ映画の撮影など——をやる人間も出てくるだろう。もちろん予想だにしない事故が起こるリスクもあるが、それは飛行機や自動車でも同じだ。宇宙に飛び出す人間が増えれば増えるほど、世の中はおもしろくなっていく。
要するに僕は宇宙事業を通じて、人類の可能性を拡張する「新しいインフラ」を提供したいのだ。そう、インターネット事業に取り組んだときとまったく同じだ。
新型ロケットを発明したいのではないし、自分ひとりで宇宙に行きたいのでもない。インフラを誰がどのように使おうと、大いに結構。そこで一緒にワクワクするような未来をつくっていきたいのである。仕事もお金も喜びも、それを独り占めしたところで心は満たされない。みんなとシェアするからこそ、本当の幸せを実感できるのだ。