アパレル業界の常識を覆した「違う」という新しさ

cakesとファッションブランドspoken words projectのデザイナー飛田正浩さんが組んで、今月からある連載がスタートします! 始めるにあたって、飛田正浩とは何者なのか、spoken words projectというブランドをご存知の方もそうじゃない方も知っていただきたく、インタビューを行いました。2回目となる今回は、90年代、飛田さんが東コレデビューしてからのお話です。

全部自己流で始めたカッコ書きの「東コレデビュー」

— ブランドを立ち上げたのはいつ頃なんですか?

飛田正浩(以下、飛田) 東コレデビューと書かれたのが1995年でしたけど、ブランドを立ち上げた年は明確じゃないんですよ。

— そんなに早く東京コレクションにデビューされたんですね!

飛田 それがね、東コレの時期に勝手にカフェを借りてランウェイをやっていたら、たまたま来ていた方々に褒めていただいたんです。東コレで面白いのが出たって記事も書いていただいたんですよ。じゃあこれって東コレデビューなんだって感じではあるんですけど。

— その後は正式に東コレに出したりはしたんですか?

飛田 当時は東コレに出ているっていう言い方も非常にグレーで。東京ファッションデザイナーズ協議会に登録して、毎月会費を払って初めて公式のランウェイをするのが正式な東コレデビューなんですよ、あの頃は。だけど月々いくらも大変だし、僕ら友達集めてやっちゃおうってショーをやっていたので。

— ファッションウィークってありますもんね。

飛田 そうそう。ヨーロッパでも一緒だと思うんですけど。ある種のインディーズでやる人って結構いるんですよ。僕らは一切協会にお金を払っていなくて、後押しをしていただいて出してもらった訳でもなくて、自分達で知り合いを集めてずっとやってきたんですよね。

— カフェでやったのを取り上げられたのが95年ということは、ブランドとしてはもう少し前からということですよね?

飛田 初めてショーをやったのは、卒業してすぐぐらい。骨董通りに「BLUE」という伝説のクラブがあって。いざ作った服を発表したいと周りに話し始めると、面白いことをやろうと仲間がどんどん増えていったんですよ。ギャラリーを借りて洋服の展示をやりたいというところから、ランウェイやった方がいいんじゃない?ってアドバイスもらって。ヘアメイクの友達がボスに話をつけてくれたり、モデル事務所の社長さんがプロのモデルさんを10人くらいノーギャラで使わせてくれたりました。

— 卒業直前にミシンを購入したばっかりだったんですよね。でも卒業してすぐにもう10着ぐらいは作れるようになったっていうことですか?

飛田 そう、ここで染色が出てくるんですけど、6畳8畳のアパートの風呂場を全部染色場にしちゃって……。これは、98年の「思春期」。

飛田 本当に自分で縫って、染色して、全部手作りですよ。ショーができるってなってから寝ずに縫って、10人モデルがいて、2、3回チェンジが入っているから30型ぐらいは作ったと思う。

— え—! いきなりですか!? そんなこと可能なんですか(笑)。

飛田 前もって蓄積していた体数が10着ぐらいはあったので。あと、予備校の講師やってたじゃないですか。みんな予備校から美大入るんですけど、僕が何かやろうとすると学生に手伝ってもらえちゃうんですよ。

— なるほど(笑)。

飛田 なので、僕の原点はここかな。

— なんとしてでもやってやろうみたいなところで、ガッと身についた感じですね。

飛田 そう、全部自己流だったから、パターンだってまだ分かってない(笑)。

— それをずっとやってると(笑)。

染色技術という強み

— ちなみにショーで発表した服は実際に売っていたんですか?

飛田 全然。作るだけ。パフォーマンスして見せていたという感じですね。1回目は入場料取ったんですよ。クラブの一つのイベントとして。だからDJも入れたり映像作家入れて映像流したり。そこでメインの出し物としてファッションショーが入ってますよっていう感じやっていました。だから若干学生のノリですよね。クラブイベントで使っていた「spoken words project presents」に近い感じ。それでいきなりショーをやっちゃって。

— この頃からもう全部染色ですか?

飛田 そうです。

— 染色は最初から飛田さんの強みだったんですね。

飛田 そうね。で、その東コレに勝手に出して、それから毎シーズン東コレ参加ってあたりから暗黒時代が始まるんです。やべえ、俺東コレデビューだ、ってなったらこんな自分で一個一個染色して自分で縫ってちゃダメだって急に真面目な性格が出ちゃって。バイヤーが来たら受注も受けなきゃいけないから、パタンナーや工場に発注するシステムを導入して、ビジネスになりそうだからお金かしてくれって親に頼んでやり始めるんですけど、全然売れない。ここからお金がどんどん流れて行っちゃう時代が始まるわけです。

— ここまで特にビジネスにもせずに自分で染めて縫ってひたすらやり続けていたのが、ようやくビジネス化されたと思いきや、全く売れないと。

飛田 何十万何百万すっ飛んでいくので、いよいよもうやめよう。そもそも洋服をどういう風に作りたかったんだっけって?ってなって。デザイナーってパタンナーや工場と打ち合わせして既存のアパレル流儀でお洋服を作ってショーや展示会をやるのが当たり前だと思ってやっていたのに、何か違和感が出てきたんです。そういえば、自分で作ってた頃の方が楽しかったなって。だから、初期衝動に立ち返って、自分でかつて作っていた作り方で最後のショーをやろうって決めたんです。

— ランウェイショーってある意味見本市だから、注文受けたら、全部同じ商品を作らないとダメですよね。

飛田 そう。でも、最後だからやりたいことやろうって一人でこもって、染色やプリントに立ち返るんですよね。封印していた、自分が楽しいと感じる洋服の作り方、何から何まで自分たちで作ろうって。それで売れなくてもいいやっていう気持ちでした。

— でもそれって量産できないということですよね。

飛田 それでもいいやと思ってた。でね、ショーが終わったら知らない女性に話しかけられたの。「すごい売れてるでしょ」って。なにこの人と思って、いやまだ一着も売れてないですって答えたら、「ばっかじゃないの! うち持って来なさい!」って言われて。その女性が実は、若手のデザイナーを売り出すエージェントだったんですよ。

— 劇的なお話ですね。

飛田 そのエージェントの方が優秀で、めちゃくちゃ売れるようになるんです。そもそもロンドンで若いデザイナーを探して紹介する仕事をしていたので、目が早い人たちだったんですよね。僕らの服を見て新しいと思って売れると思って、でも僕らは一点ものだから量産できなくて。だから発注されてもどんな服が来るかは分かりませんと言ったら、「量産しなくていい、私がなんとかする」って。

— え、どうするんですか!?

飛田 例えばブルーワンピース作ろうって染色を手作業でやって、20着分作るでしょ。手作業だから、柄やポイントがちょっとずつ違う服が工場から上がってくるんだけど、それがラックにかかってるのを見て、新しいと思ったんですよね。

— ああ、なるほど! 違うことをむしろ魅力に変換したんですね。

飛田 洋服の型紙は一緒なんです。同じ染料と同じ技法を使っているから、シリーズとして一緒のものに見えるんです。でも一個一個見ていくと、ここについている花がこっちにはついていない、とか、あるべきものがなくて、違うものがあったりとか、だけどそこが新しいってエージェントの人が言ってくれて。あっという間にいろんなところから声がかかって、当分の間大変でした(笑)。

— 売れるは売れるで大変ですね(笑)。

飛田 売れた分、布の生産は自分たちでやらないといけないので。

初めて作った量産可能なテキスタイルデザイン
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spoken words project 飛田正浩とは何者か?

飛田正浩

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