新型コロナウイルスの感染が広がり、2020年3月半ばになると、それまではまだまだのんびりしたものに感じられた日本国内の雰囲気も徐々に重苦しい空気に覆われていった。志村けんが亡くなったことが大きく報道された3月29日頃からはその雰囲気が決定的なものになり、4月16日には政府から緊急事態宣言が発令された。
ステイホームが合言葉のようにしてあちこちで叫ばれるようになった。星野源がSNSに『うちで踊ろう』という曲の動画をアップしたのは4月2日の深夜で、ミュージシャンのみならずタレントやお笑い芸人や総理大臣まで、とにかくあちこちで元ネタにされるようになって、私はそれらの動画を見たり見なかったりしながら、ほとんどの時間を自宅で過ごした。
もちろんそんな時期でも外に仕事に出なければならない人もいたし、「緊急事態宣言」には移動を制限する強制力はなく、あくまで「不要不急の外出は自粛せよ」と、どうとでも解釈できるようなものだったから、どこかへ出かけようと思えばできたのだろうけど、目に見えないウイルスの恐怖にとにかく怯えきっていた私は、家でひたすらネットニュースをチェックしまくって、それで疲れて横になっているだけだった。
「食料品や日用品の買い出しなど、必要最低限の外出は問題なし。ジョギングなど軽い運動のための外出もオーケー」という、誰が決めたのかはっきりとしない暗黙のルールがあり、私もそれになんとなく根拠もわからぬまま従っていた。残り少なくなったアルコールスプレーをリュックに突っ込み、何度も手に吹きかけながらスーパーで食材を買った帰り、そのまま近くの川べりまで足をのばす。さっきまでが「買い出し」でここからが「軽い運動」だ。
私の家から5分も歩けば「大川」という川に突き当たる。大川は、淀川が水害対策ために今の位置を流れるように改修される明治時代まで淀川と呼ばれていた川で、つまり「旧淀川」でもある。川沿いに桜の並木が長く続き、春は花見客で賑わい、夏になると「天神祭」という大きなお祭りの屋台が川沿いに並んで活気に包まれる。しかし、今年はどちらもウイルスの影響でふいになり、春も夏も普段通り静かなままだった。
その大川沿いはジョギングコースとして整備されていて、外出自粛ムードの中でも走る人、歩く人の姿が絶え間なかった。住宅街を歩くよりもかえって多くの人とすれ違うほどである。
それはそれで息がつまるので、私は川沿いのジョギングコースではなく、川に突き出すようにして作られた公園というか、広場というか、とにかくポカーンとした空き地のような場所まで行くことにした。そこにたどり着いてみると、ジョギングコースの方とは打って変わって人の姿がない。ただ目の前に川があるというだけの場所だから、特に誰も気に留めないのだろう。
川の際に作られた柵の前に立ち、マスクを外す。周りを見渡しても誰もおらず、眼前には水面が広がっている。ほんの少しの間、ここで深呼吸させてもらってもいいだろう。大きく息を吸い込んでみると、自分がずっとプレッシャーにさらされていたことに改めて気づく。特に4月から5月にかけての一時期、私はこのウイルスによって世界が修復不可能なところまで壊れてしまうのではないかと不安で仕方なく、そのストレスのせいか胃腸の調子を崩し、満足に食事をとれない日々が続いた。
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