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とても死にたいです。死ねないなら死刑になりたいです。3人ぐらいでしょうか。いや、もちろん思うだけなのです。決して実行など出来ないのでしょう。だって死ねないのだから。あの時、親から首を絞められたとき抵抗しなかったらこんなに苦しまなかったのでしょうか。たとえば人から「お前なんか死ねば良いのに」と言われたときその言葉の効き目で死ねたら楽なのに。もう頑張れないし頑張りたくないです。解決法を模索したりするのも疲れました。どうにもならないのに助けを求めるために1から思い出して説明するなんてもう沢山です。じっと硬直して迷惑をかける度に謝って配慮をしてもらうために頭を下げて、つらいなぁと思いながら死ぬまで生きるのでしょうね。でもきっともっとたくさん辛い思いをしてる人がいるんですよね。いるでしょうね。ではどこかでお会いできるときを楽しみにしているとお伝えください。
(なたでここ)
3人ぐらい殺して死刑になりたいってこと? やばいっしょ。自分の命に価値がないとおもってるかもしれないけど、自分が苦しいからといって、誰かを苦しめていい理由にはならないよ。
だいたい死ぬことが目的なのであれば死刑狙いなんて効率が悪いでしょう。人の殺し方を知らない人が3人も殺すってのはけっこう……というかかなり大変なことだとおもう。ぼくは狩猟を経験して知ったことだけど、鉄砲を使ったとしても致命傷を与えるのは実はけっこう難しい。刃物や鉄砲みたいな道具があっても知識と技術がないと難しいのよ。ドラマや映画や漫画とはやっぱり違うよ。
ぼくは経験を積んだことでどこの臓器をどこからどうやって狙えば絶命させられるか知っているけど、もしもぼくが死刑狙いの無差別通り魔になったとしても、せいぜい一人殺せるかどうかだとおもう。目の前で一人が刺されたらみんなすぐに逃げて、警察官に捕まるのがオチで死刑になれないでしょ。
そうなってくると逃げられない子どもづれの女性や、高齢者や弱者を狙うんだろうし、そういった事件は過去にたくさん起きているけど、ぜひ自分の命の価値と誰かの命の価値は別物だと知ってください。
さまざまな格差と差別と生きづらさが存在して、それを解消する具体的な術もない世界で、ぼくは命の価値が人類みな平等だなんてことはまったく信じてないよ。だからこそ街で歩いている見知らぬ女性や子どもの命にも価値がないとはおもわないでくれ。
あなたが死にたいという気持ちを否定するつもりはないし、ぼくは病気になったときに死にたくなったんだけど、死にたいという気持ちはぼくにも理解ができる。死にたいという気持ちを誰かから否定されることの苦しさも理解できる。
健康で経済状況も人間関係も良好な順風満帆な人に「死んじゃダメだ」っていわれてもなにもピンとこないし、難病を抱えていたり生きにくさを抱えつつも生きている人から「死んじゃダメだ」っていわれても「あんたはがんばってくれ」としかぼくはおもえなかったんだよね。
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