泥棒みたいにコソコソと
葬儀録を読んでいて、わたしたち21世紀に生きる読者が最初に「えっ?」と思ってしまうのは、遺体をローマからフィレンツェに移送するところでしょう。そこには、次のように書かれています。
ミケランジェロの甥リオナルド・ブオナローティは、〔…〕ミケランジェロと非常に親しかった友人ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラや、かの老聖人の周囲にいた人々から、ミケランジェロが自分の遺体を、つねに心から愛し続けた、いとも高貴なる祖国フィレンツェに運んでくれるよう願っていたと聞いて、すばやく、かつ良き決断をもって、遺体をローマから慎重に運び出し、なにかの商品のように見せかけて梱(こり)にしてフィレンツェに送った。
「慎重に運び出し、なにかの商品のように見せかけ」たとは、いかにもコソコソしていて、まるで遺体を盗み出したかのようです。これからプロモートしていきたいアカデミアが、そんな泥棒のようなことをしてよいのでしょうか。しかもそれを公刊する文章にしっかり書くとは?
芸術家と聖人伝
じつはこれ、ミケランジェロの遺体をカトリック教会で崇敬されている聖遺物になぞらえているのです。聖遺物崇敬とは、聖人が触れたり身に着けたりしたアイテムや、聖人の身体の一部に対する信仰のことです。ここでいう聖人とは、カトリック教会が認めた、神と信徒の仲立ちをしてくれる人物を指します。
とくに有名な聖遺物には、処刑場に向かうキリストの顔をぬぐった布、キリストが磔になった十字架の一部、聖母マリアの帯などがあります。身体に関するものだと、聖ペテロや聖パウロなど使徒たちの遺体に加え、変わったものだと全部の歯を抜かれるという拷問を受けた聖アポロニアの歯、特定の日になると固形から液体に戻る聖ヤヌアリウスの血などもありますね。
偉大な聖人の聖遺物が収められている教会は信徒を集めやすいのですが、聖遺物は無尽蔵にあるわけではないので、当然ながら競争が発生します。そこで、ほかの街に収められている聖遺物をこっそり盗み出してきて、自分たちのものにしてしまうといった略奪行為が実行されることもありました。
聖アポロニアの歯と伝えられるものを入れた聖遺物箱。ポルト大聖堂に保管されている。(c) Montrealais CC BY-SA 3.0
聖遺物を盗むのはキリスト教の説く道徳に照らすとどうなのか、という疑問もわきそうですが、じつはそういった形で盗み出された聖遺物は、盗難が成功したのも神の思し召しであるため、盗み出した側が所持するのがふさわしいと捉えられたのです。
このような盗難を、「聖なる盗難」と呼びます。有名なところでは、福音書記者聖マルコの遺体は現在ヴェネツィアにあり、聖マルコは同地の守護聖人ですが、もとをたどればこの遺体はもともとエジプトのアレクサンドリアにあったところ、ヴェネツィア商人がそれを盗み出し、ヴェネツィアの地にもたらしたといいます。
葬儀録では、ミケランジェロの遺体移送をこの「聖なる盗難」のフォーマットに当てはめています。それによって、ミケランジェロが聖人のように尊い存在であることをあらわすと同時に、フィレンツェこそがミケランジェロの最期の地にふさわしいことを主張しているのです。
ミケランジェロを聖人になぞらえている箇所は、ほかにもあります。3月10日にフィレンツェに到着したミケランジェロの遺体が、埋葬場所となるサンタ・クローチェ聖堂に移送されたときの記述に注目してみましょう。
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