タマタを討つ
允恭五年七月十四日、地震がありました。
これより先、ソツビコ(葛城襲津彦)の孫・タマタ(玉田宿禰)に命じて、反正天皇の殯(もがり)を執り行わせていました。地震のあった夜、尾張連(おわりのむらじ)のアソ(吾襲)を遣わして、殯宮(もがりのみや)※1の様子を見に行かせました。
そのとき、皆集まっていましたが、殯宮の管理を命じられているタマタだけがいませんでした。
この日、タマタはちょうど大勢の男女を集めて酒宴を開いていたのです。
アソが警告すると、タマタは問題が起きることを恐れ、馬一頭をアソに授けて進物にし、すぐ密かにアソを待ち伏せて道で殺しました。そしてタケウチノスクネの墓地に逃げ込み、隠れました。
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