第20回】"ドイツ史に残る選挙"を征したメルケル首相の内憂外患

9月22日、注目の総選挙の日にドイツへ戻った。夜、家についてすぐにニュースを見ると、投票所は閉まったばかりだというのに、すでにかなり確実な予想が出ていた。メルケル首相の大勝利だ。 もし、彼女が首相を続投すれば、3期連続。これは戦後最初の首相アデナウアー、そして、東西ドイツ統一の立役者コール首相に次ぐ、3人目の快挙となる。ゆえに、「ドイツ史に残る選挙」とのこと。


〔PHOTO〕gettyimages

9月22日、注目の総選挙の日にドイツへ戻った。夜、家についてすぐにニュースを見ると、投票所は閉まったばかりだというのに、すでにかなり確実な予想が出ていた。メルケル首相の大勝利だ。

もし、彼女が首相を続投すれば、3期連続。これは戦後最初の首相アデナウアー、そして、東西ドイツ統一の立役者コール首相に次ぐ、3人目の快挙となる。ゆえに、「ドイツ史に残る選挙」とのこと。

しかし、それより何より、今回の選挙がドイツ史に残ると言われているもう一つの理由は、FDP(自民党)が議会から消滅してしまうことだ。

ワンセットのCDU/CSU、全議席を失ったFDP

ドイツの政治にあまり詳しくない人のために少し復習すると、現在のドイツ政権はCDU(キリスト教民主同盟)とCSU(キリスト教社会同盟)、そしてFDP(自民党)の連立となっている。

メルケル首相率いるCDUは、押しも押されもせぬドイツの第一党だが、面白いことにこの政党はバイエルン州にだけは存在しない。その代わり、バイエルン州にはCSUという姉妹政党がある。そして、CDUとCSUは常にワンセットになっている。

ドイツの南、アルプスの麓にあるバイエルンという地方は、非常に個性的で、他とは相容れない特殊な土地柄である。州都はミュンヘン、有名なのはオクトーバーフェストというビール祭り。ハイテク産業が盛んで、景気も良い。教育水準も高く、ドイツで1、2を争う。

ただ、バイエルン州は非常に保守的な土地柄で、州都ミュンヘンの先進性に対して、そのアンバランスは甚だしい。CSUは、そのバイエルンの保守気質の代弁者であり、州内での威力はものすごく、先週は州議会選挙があったばかりだが、CSU一党で絶対的過半数を獲得した。党首はゼーホーファー、見上げるばかりの大男だ。

いずれにしても、CDUといえば、その政治地図の一角には常にCSUが含まれていると思って間違いないが、ややこしいのは、このバイエルン州の雄CSUが、常にCDUと歩調を合わせているかというと、そうでもないことだ。しかし、まあ、それは、今は横に置いておこう。

さて、もう一つの連立与党FDPというのは、1948年に結成された自由主義を標榜する政党だ。旧西ドイツの時代から、保守のCDU/CSUと、あるいは、左派のSPD(社民党)と自由自在に連立してきた。

大昔のアデナウアー政権の一時期と、キーシンガーのCDU/SPDの大連立政権を除けば、ほとんど常に与党として連立政権に参加していた。そういうと、まるで節操が無く、コバンザメのようにも聞こえるが、良い政治家も輩出している。

たとえば、党首ハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー。1974年(シュミット政権)から1992年(コール政権)まで、18年間も外相を務めた強者だ。東西ドイツの統一も、彼なくしては違ったものになっていただろうと言われている。また、FDPは、国家元首である大統領も、テオドール・ホイスとヴァルター・シェールと、2人輩出している。いずれにしても、小さいながら、国政で影響力を行使してきた政党ではあった。

前回2009年の総選挙では、このFDPがめきめきと票を伸ばし、CDU/CSUと連立して与党となった。ところが、その後の墜落はドラマチックといってよいものだった。原因は定かではない。人材不足、仲間割れ、間違った政策など、様々な要因が絡み合っていることは間違いない。

その後、対処療法としての党首交代もあったが、不人気は改善されず、支持率の低下は止まらなかった。そうするうちに、2011年にはブレーメン、メクレンブルク=フォアポンメルン、ベルリン、12年にはザーラント、13年にはバイエルンの各州議会選挙で全議席を失った。そして、今回、ついに連邦議会からも退場することになったのである。

適当な連立相手を失ったCDU

なぜ、FDPが全議席を失ったのか。それは、ドイツの選挙の仕組みと関わっている。

ドイツでは、有権者は投票すべき2票を持っている。一つは選挙区選挙の投票権で、立候補者を直接選ぶもの。そして、もう一つの票では政党を選ぶ。この二つ目の投票で、全体の5%の票を得られなかった政党は、議席を持つことが許されていない。有名なドイツの5%条項である。

今回、FDPという政党に票を入れた人は全国で4.8%にすぎなかった。これが5%に達していれば、FDPは全議席の5%分の党員を、議会に送り込むことができたはずであった。

この5%条項というのは、ワイマール共和国時代、小党の乱立のため政権が不安定になり、ヒトラーの台頭を許したという経緯があったので、その再発を防ぐために設けられたものであるという。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes・note会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

現代ビジネス

この連載について

初回を読む
シュトゥットガルト通信

川口マーン惠美

シュトゥットガルト在住の筆者が、ドイツ、EUから見た日本、世界をテーマにお送りします。

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません