自分だけの地図
フランスに移住した当初、私は惨めで自信が無かった。
フランス語は話せない。この国についても土地についてもなにも知らない。外国人であるという疎外感。仕事もお金も友人もなく、出来ることもほとんどなく、ここで生活していくことに大きな不安を抱えていた。
だから私の日課は、お金が無くてもひとりでできる散歩だった。唯一自分にできたのは、この土地の景色を撮ることだったから、毎日カメラをもって近辺を探索した。ひとりでいるのは気楽だ。気の赴くままとにかく歩く。この道の先に何があるのか知りたくて。
ベンチがある休憩ポイント、よく猫をみかける場所、果物が実る木、昔の水場...そういった好きな景色を見つけていく。私の頭の中には次第に自分だけの地図が出来上がって、新しい発見をする度にそれは複雑になっていった。
途中で見かけた植物の観察もする。道端に生えている雑草とよばれる植物の中には、当たり前だけど日本ではあまり見かけない種類も多い。しゃがんでよく見てみると、葉っぱや花の形にはそれぞれ個性があり、飽きることがない。手入れや管理がされていない植物が、伸び放題になっているさまは自由な感じがしてゆかいだ。
色や形が気に入った植物は、少し摘んで家に持ち帰った。図鑑やネットで調べ、名前や特徴を知ると、急に親しみを感じ、愛おしさが増した。そしてさいごには押し花にして、ノートに貼り付ける。それは自分だけの植物図鑑のようで、ページが増えるのがうれしかった。
採る、たべる、味わう
秋が深まってきたころ、大きなパニエをもって森へ行こうとパートナーにきのこ狩りに誘われた。この森へ入るのも、きのこ狩りもはじめてだった。緑と土の濃いにおいのする森はしっとり湿っていて、聞いたことのない動物の鳴き声が遠くで響いている。
森を歩きはじめても、はじめは何も見つけられず、そんな私とは反対にひょいひょいときのこを見つけていくパートナー。うらやましい。どうして私には見えないのだろう。それでも注意深く地面をみながら探す。
すると、枯れ葉のすきまからひょっこり頭をのぞかせるきのこの傘が。そんなところに居たんだね! 一度見つけると、不思議とそのあとはどんどん目に入るようになってくる。ちいさいきのこ、派手な色のきのこ、毒々しいきのこ、ふしぎな形のきのこ。何もないと思っていた足もとには、にぎやかな世界が広がっていた。
そしてとうとう発見した食べられるきのこ。それは、暗い森の中ではひときわ目だつ黄色のジロール(アンズタケ)だった。みつけたジロールを家に持ち帰り、オムレツをつくってもらう。バターでソテーされたジロールがふわっとした卵につつまれていてとてもよい香り。初めて食べたジロールは、湿った土や葉の重なる、濃い森の味がした。
「自分で採ったものを食べる」悦びを知った私は、それからきのこ狩りに夢中になった。何度も森へ足を運び、きのこを見つけて写真を撮って、図鑑で調べる。確実に食べられるとわかったきのこはいろんなふうに調理して食べた。
春になって柔らかな新芽があちこちでみられるようになったとき、おいしそうだな、と思った。それで、ふと日本では春に山菜を食べるのを思い出した。この土地でも野草を食べたりするのかなと、調べてみると、こちらでも野草を食べる習慣はあるようだ。だけど日本とはすこし違った食べ方をするらしい。
どうしても食べてみたい。どんな味がするのか知りたい。居ても立っても居られず、野草を探しに出かけた。そうして森や小径などから探し集めてきた野草で、サラダ、キッシュ、パスタ、スープなどに調理をして食べてみた。
野草は、生産された野菜にはないような野性味があった。苦みや酸味などのアクが強く、口の中で「私は草である」と主張をする。その食べ応えはなかなかクセになった。
野草のほかにも、春にはすみれの花でシロップを、夏にはエルダーフラワーのコーディアルや、ルバーブのジャムを、秋にはブラックベリーのジャムをつくった。
自然のめぐみを採って味わうことで、自分もまた自然の一部であり、うつりゆく季節のなか共に生きているのだなと気づいた。
生活しているという実感
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