第九回】六郷温泉と冷やし中華 (前編)

今回の舞台は、六郷温泉。ただ、六郷温泉のことを書き出す前に、どうしても書き記しておきたいオモシロ温泉の話があるという。なんでも、風呂に入っていた子連れのパパに「うわ、なんだ、この湯、キタネーなぁ」と言わしめた風呂だそうで……。「孤独のグルメ」でお馴染みの久住昌之氏がおくる、「風呂」×「グルメ」の痛快エッセイ!

まず最初にこの夏泊まった、オモシロい温泉のことを書いておきたい。
 というのは、別の仕事で泊まった宿で、その原稿では行った場所を特定している。だからその宿のことを書くのははばかられた。どこの温泉ホテルかわかると悪いからだ。
 その宿は、その昔押し寄せる宿泊客に大変栄えて、今は様々な理由でさびれてしまった様相をいたるところに呈していた。
 そのホテルは、7階建てぐらいで、大変ユニークな形をしている。どうユニークか説明するとわかるかもしれないので書かない。できた当時は、それはモダンでかっこよかったと思う。この辺りにそんなホテルはなさそうな田舎なので、評判になったはずだ。でも築三十年ぐらいだろう。
 まず、フロントの男性の、ハゲ頭が、雑だった。最近よく耳にする「ハゲ散らかした」の、その散らかしっぱなしの長髪というか。
 フロントでボクが名前を言うと、「はい」と言って、下を向いてそのハゲ部をこちらに提示するように見せるのだが、ヒドイ。頭が荒れ放題だ。つや消しの半白髪長髪が、ボサボサ。それがハゲ部に、枯れたツタのように絡み付いて、いや、ハゲには絡み付くところがないから、のっかっている。かぶさっている。頭部が、長く人の住んでないボロ家のようだ。ブラシや櫛はもう何十年も入れていないのだろう。ネズミが住み着いていそうだ。
 まあ、それは、しかたない。不思議に不潔感がなかったのは、毎日温泉に入っているからだろうか。
 しかし、部屋に行ったら、入った瞬間ちょっとカビ臭かった。ほんのちょっと。これもたまにボロい旅館であるから、そんなにボクは気にしない。
 でもすぐさま窓を開けた。
 田舎なので、景色はいい。空気もいい。気持ちがいい。
 見下ろすと眼下にプールがあった。形はあえて説明しない。プールの底に、魚の絵が描いてあった。これがカワイイ。どんな魚かは書かないが、本当にかわいらしいイラストだ。
 だが、水が濁っている。どんより黄緑色。藻。当然使っていない。だが水を入れているのが見える。なぜだ。水が濁っているのか。いや違うだろう、 水を抜くと、もっと滅び感が強まってしまうのだろう。水を抜いて放置されたプールほど、廃墟的なものはない。保護のために水を入れているのか。残念だと思った。気の毒とも思った。プールは管理に手間とお金がかかるのだ。経費削減のしわ寄せだろう。
 ボクはどこでもたいてい、宿に着いたらひと息ついて、すぐ風呂に行く。旅の汗を流すためだ。
 風呂に入れば、身も心も一新し、風呂上がりにビールでもあければ、ちょっとボロい宿でもたいがい「住めば都さぁ!」となる。
 浴衣に着替え、大浴場に向かおう!と、着替えたその浴衣が、微かに部屋干しして失敗したような匂いがした。これはちょっと、不快。でもそんな時のために、ボクはパジャマのズボンだけ持ってきてある。今夜は、これとTシャツで寝よう。

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ふらっと朝湯酒

久住昌之

三度TVドラマとなることが決定した「孤独のグルメ」の原作者久住昌之が、新たに提案するのが“ふらっと朝湯酒”。その名の通り、朝からお風呂入って一杯飲るという試みを、やってみようというエッセイである。朝から飲むからって、♪朝寝朝酒朝湯が大...もっと読む

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takurokoma この間、飛騨高山の温泉に行った時のことを思い出した。とりあえずあるあるすぎて笑っちゃう 約5年前 replyretweetfavorite