親と話が合わない。10代の後半ぐらいから少しずつ感じていたけれど、その感触は歳を重ねるごとにものすごく明確になってきた。早く結婚しなさいだとか、仕事はどうなのだとか。顔を合わせるのも面倒くさくなってしまう。こういう話は周りからもよく聞くので、きっと私だけではないはずだ。言葉を選ばずに言うと、イライラしてしまうのだ。
経済面はもちろんのこと、手塩にかけて育ててもらったし、感謝はしている。でも、うまく会話ができなくなっていく。
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2月の末からリモートワークに切り替わって約半年。いい機会なので、本格的に実家の整理に着手した。母は20年以上前に他界し、高齢の父には手伝いを仰げない。仕事が終わった後に、何年も閉まったままの押し入れを開け、粗大ゴミをまとめ続けた。
不要なものをまとめ、ゴミとして捨てる。とても単純な行為なものの、初めのうちは想像以上に心が摩耗した。昔着ていた服、幼い頃愛用していたお皿、母が凝っていた刺繍セット……モノは思い出のトリガーになるため、それをゴミ袋にいれることは、思い出まで手放していくような気持ちになる。
次第に気持ちにも耐性がついていき、作業も中盤に差し掛かったころ、あるものの整理を始めた。写真だ。
スマホやデジカメがなかった時代は、シャッターを切るごとに最低1枚「物理的な写真」が出来た。それを、友だちやら親戚に配るために焼き増しをすることもあったのか、何枚も同じ写真が出てくることもあった。そのうえ、写真屋で現像しないと写真の出来がわからなかったため、ブレた写真や何を撮影したかったのかわからないミスショットが「物理的な写真」として手元に残ることとなった。
まるで遺跡発掘をするみたいに、次から次へと写真が出てくるので、「写真に埋もれる夢」を見たぐらいだ。
ピアノの発表会や北海道旅行など、私が幼い頃の家族写真。幼稚園の卒園式や運動会など幼少期の思い出が瞬間冷凍されたような写真たちは、文字通りタイムマシンのように記憶を呼び起こした。
整理の作業を進めていくと、だんだんと見慣れない写真を掘り当てるようになってくる。
父と母の学生時代の写真や、結婚式の写真を見つけたのだ。
1945年生まれの父の写真はほとんどがモノクロ写真だった。かろうじて父だと認識できる少年は、私の知っている二重瞼ではなく一重瞼だった。父は東京生まれ東京育ちにも関わらず、写る背景は自然が目立つ。どうやら高校ではワンダーフォーゲル部に入っていたようで、貧乏旅行に夢中だったようだ。カメラを持ちながら嬉しそうに列車に揺られる1枚は、「父の顔」ではなかった。
母のアルバムにはもっと衝撃を受けた。私の知らない男と懇意にしているような写真が何枚も出てきたのだ。ヨーロッパの街並みをバックに腕を組んでいたり、神宮外苑の銀杏並木で身を寄せ合う姿を収めた写真。それも、何人か違う男が登場していたのだ。その顔は、もちろん顔立ちこそ知っているものの、私の頭を撫でてくれた「母の顔」とも違っていた。
さらに驚いたのは、母宛のラブレターのようなものが出てきたことだ。海外赴任になった男性と文通をしていたようで、母はよく仕事の話などをしていたらしい。男性の方からはヨーロッパの暮らしぶりなどが伝えられていた。
母は父以外の男性と恋愛をしてきたわけだし、父だって母以外の女性と付き合いはあったのだろう。私は、生まれてこのかた、この当たり前の事実を想像すらしてこなかった。
生まれた時から、「親という生物」として2人を捉えていたのだ。父のパートナーは母。これだけしか知らなかった。でも現実は、それぞれ一人の人間としての人生がある。
写真の背景は私が見たことのある景色が多いはずなのに、私が自分の目で見てきた東京と違っていた。服装も髪型もメイクもピンとこない。どこか歴史の資料を見ているような感覚すら覚える。父と母が出会ったという銀行の支店は、私も足を運んだことのある松竹映画のオフィスビルになっているし、2人の背景には、スタバもなければコンビニだってない。
親は、違う時代を生きてきた、自分とは全く異なる人だったのだ。写真を整理するほどに実感する、当たり前すぎる事実だった。たとえ血がつながっていようとも、長い時間一緒に暮らしていようとも、生まれたときから私を見守ってくれていようとも、どこまでいっても親は他人。私の知らない時代で、私の知らない人生を送ってきた誰かだった。
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