どうも。
最近、目が覚めると、もしかしたら自分は浦島太郎になったんじゃないか?!と本気で思うことがあって……。
だって、もう8月終わっちゃうんだよ?!ショックだよ、びっくりだよ、仰天だよ!!!
7月末に「よぉし、8月から本気出すとすっかぁ!」って思ったはずなのにもう終わるよ!ううう……ぐすぐす
さあて、泣いたってどうにもならんし(ヤケ)行きますか。ゴー♪
巨匠との出会い~破~
2006年の初舞台以降、2作品後の2007年、そして直後の2008年。
自分の表現について的確なアドバイスを頂いた(19話参照)2009年。
『太王四神記』という作品で再び巨匠と巡り合った私は、更に多くの課題に直面し、ヒイヒイ言っていた。
一つ、核心に近づけた、と思うと、次の段階へ。
時間をかけまた核心へ近づいたと思えば、次へ。
一生追いつくことの無い鬼ごっこをしているようだった。
結局、この時は自分がどんな存在になるべきかはっきり見つけられないまま終わった。
しかし、それから少しずつ「変なおじさん」の役を頂くようになり、宴会や打ち上げなどで指名されなくても勝手に余興を率先してやって行く中で、とうとう「タンバリン芸」という自分の持ちネタも手に入れ、花組の組子の中で、お笑い特攻部隊として認知されるようになっていった(どのようにしてタンバリン芸と出会ったのかは追々書ければ……)。
研究科7年目、新人公演最後の学年になり、自分自身が、組にとってどんな存在でいるべきか、なんとなく自覚して来た頃……
『太王四神記』から4年、『オーシャンズ11』という作品で再々度巨匠の作品に巡り合う。
宝塚版『オーシャンズ11』では、中国雑技団が出てきて、一芸を披露する場面がある。
集合日に先駆けて、その「一芸」のオーディションが開催された。
私はここで、出会った頃の、右も左もわからずおどおどしていた頃とは違う、年月を経て「陽キャ」になった私の一芸で笑ってくださいよ!と、成長した自分を見てもらえるように、そして、新人公演の最年長として、下級生を引っ張って行けるように、先頭を切って
「これが私の一芸です!!」
と言わんばかりにタンバリン芸を披露した。
力有り余ってタンバリンのシャンシャンしているところ(リン?の部分?)を吹っ飛ばしていることにも気づかず、私は渾身のパフォーマンスを披露した。
下級生たちは、オーディションの最中にも関わらず、笑って盛り上げてくれた。
パフォーマンスを終え、 我ながら面白かったのでは……?と感想を伺うと、 巨匠は、
「そこ(右奥)と、そこ(左奥)に破片(タンバリンのリンの部分)が飛んで行ったので拾ってください」
と、ただただ冷徹に言い放った。
さながら、エヴァンゲリオン(新世紀でも新劇場版でも可)の碇ゲンドウのようだった。
再び、オーディション会場然とした空間に戻り、緊張に包まれる中私は一人リンを拾い集めた。
この時の胸いっぱいに広がった虚しさを、私は決して忘れない……。
このことで、自分は巨匠の提示する核心へ一切近づけていない事を痛感し、一気に自信喪失した。
傷が癒えぬうちに迎えた集合日……。
私は、大男のチンピラ「ブルーザ―」という役を演じることになった。
オーディションの段階で巨匠の心を掴めなかった私は、その後の稽古でもダメ出しの嵐だった。
巨匠からは、
「貴方は今稽古場で皆さんに笑われていますが、それは組子の皆さんが貴方の人となりをわかっているからです。もっと、初めて見た人を爆笑させないと! 内輪ウケにとどまってはいけない」
その言葉は私の胸に深く突き刺さった。
7年もご一緒していると、どんなキャラでどんなネタをすれば組子の方々が笑うか、手にとるようにわかる。
組子の方々も、私のネタを人柄を汲んで笑ってくださる。
そんな甘い関係での爆笑は爆笑でも何でもない。
その日から、初見でも爆笑をかっさらうための特訓がはじまった。
特に自分が一番表現できなかったのが、 望海風斗(のぞみ・ふうと)さん演じるベネディクトが、蘭寿とむさん演じる主人公・ダニー・オーシャンの事を
「(彼は)スーパーマンか?」
と、まさかそんなわけないよなぁ?のテンションで聞いてきた際に、
「かもしれねえ」
と答えるシーンだった。
私はどうしてもこの返しを、「みんな、ここ、笑うところだよー!」と、大げさに、ドヤァ感満載で
「かもしれねえ(ドヤ!)」
と答えてしまう。
そのたび、巨匠は、違う!そうじゃない!と何度もストップし、
そのたび、わたしは、
「かもしれねえ↓?」
「かもしれねえ↑?」
と手探りでイントネーションを変えるも、返ってくる言葉は「違う!!」だった。
だんだん私は「かもしれねえノイローゼ」になっていった。
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