Zeebraの謝罪文に感じるもの
お詫びと書かれた白い紙は、彼のファンからはヒップホップ精神がないとかライムが欲しかったとか言われてイマイチ評判が良くないらしいが、私は割と嫌いじゃない。どこをとってもこれまで日本のオジサンたちが各所で発表してきた数多の謝罪文のテンプレートを切りはりしたようで、なんとなくラッパーがよくやるサンプリングを全面的にやったような痕跡がある。それに最後の「本当に申し訳ありませんでした」あたりの全く心のこもってない感じが、90年代のギャルがハゲた教頭に呼び出されて仏頂面で「これからはピタッとしたソックス履きます、申し訳ありませんでした」と抑揚と反省がゼロの声明文を出してるみたいな、あるいは「反省してまーす」の一言で心と言葉の不一致を具体的に全国民に示したかのスノーボーダーみたいな、ひねくれた反抗心を感じるし、あらゆることに不寛容になりつつある社会で主張の強いものが生き残るには、お行儀の良いフリをしなきゃいけない時がある。だからここで気の利いたライムや思いっきり中指立てるような声明を出すよりも、むしろこのペラッとした文一枚の方が、摩擦を一切許容しない社会への分かりにくい批評性があるような、ないような、そんな風に私は感じた。
「謝罪の作法」とは
謝罪というのは日本に生きている限り、日常の一風景からワイドショーやSNSまで、もっとも目にする表現だとはよく指摘されることで、年末になるとニュースショーが今年の謝罪まとめなんて銘打って、自虐ジョークみたいなVTRを作る。日本の伝統芸のようなものなので、頭ごなしに否定するつもりはないけど、謝罪の際にお辞儀をする慣習があるため、一番肝心なタイミングで見えるのは心許ない毛根と艶のない毛髪だけで、視線も表情も見えないので、連続で見せられてもどうも味気ない。土下座に至っては、顔もハートも下を向いていて、私には防災訓練や飛行機の避難訓練で見られる防御の姿勢にしか見えないのだけど、謝罪しとくのが一番の防御という意味では、そのシニシズムを体現しているとも言える。
パリの郵便局や役所みたいに、不手際を指摘すれば謝られるどころか二秒で逆ギレされるような場所も居心地は悪いが、ごめんを言い過ぎるのも、実際の事実や人の心がどこにあるのか全く靄の中で見えなくなるという意味ではトリッキーな文化だ。
誰も覚えてないけどなぜか私が未だにカラオケで歌いがちな今井絵理子のソロ曲で、「彼女いるの知ってて好きになってごめんね」という歌詞があるのだけど、男の方が「突然あの日優しく」してきたり、気まぐれで「あの日のキス」をしてきたりするので、普通に男の方が悪いと思う。要はこの歌は、やり場のない恋心を抱えた女が、謝罪という形で被害者ヅラして自分に酔ってるという状況を歌ってるのだけど、その歌い手が15年以上経ってから、新幹線の中で不倫相手と手を繋いでおいて、「一線を超えてはいけない」と再び狂わしい恋心と戦う謎の名言を残したのは興味深い。
GoToは失敗していないかのような菅官房長官の態度
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。