ぼくたちの好きな戦争(小林信彦)後編

finalventさんの書評『ぼくたちの好きな戦争』後編は、いよいよ物語内部に切り込みます。戦争を「喜劇」として描いた本作は、戦後日本国民が目を背けつづけていたある問題を、痛烈に皮肉ります。そして、小林信彦をしても笑いに昇華できなかった戦争の現実とは。戦後68年目に改めて戦争を考える書評と書籍です。

弱者という権力者


ぼくたちの好きな戦争 新潮文庫


 物語が始まる第一章「ダウンタウン 1940」では、小林自身を模した小学二年生の秋間誠が、画家志望の叔父の秋間公次に伴われて、もう一人の若い叔父の秋間史郎が出演する喜劇を観るために浅草六区の興行街を訪れる。「いたるところにアメリカがあった」と書き出されるように、アメリカ的なステージ・ショーが爛熟期を迎えてた1940年(昭和15年)の風景が描かれている。日中戦争が続き軍の規制が強まるなかでも、東京の一部ではアメリカ文化が開花していた。子どもの誠と青年の史郎は、アメリカの大衆文化の強い影響下にあり、他方、年上の公次はそれを軽蔑しつつ欧州文化に憧れていた。

 物語はそこから、少年の誠と、その二人の叔父、秋間公次と秋間史郎に加え、二人の兄であり、誠の父でもある秋間大作の四人を巡り、昭和15年からその翌年の太平洋戦争開戦、その後の戦線拡大、そして敗戦の昭和20年までが描かれる。四人それぞれが戦争の側面を分割して表現していく。

 誠の父、秋間大作もまたハイカラ趣味を持ち合わせていた。ショービズのような大衆文化ではないが、若い頃は自動車レースに興じ、和菓子屋を継いでからも外車を乗り回した。他面、和菓子屋の店主らしく、日本の文化にも馴染み、謡曲は宝生新に学び、俳句は河東碧梧桐に学んだ。しかし大成せずなにかとピントのずれた大作の俳句は物語の諸所で披露されて、苦笑を誘う。

 大作は、戦時下で物資が足りず営業ができない老舗和菓子屋の主人として東京の日々をこなしていく。興味深いのは、著者小林自身の父を模した大作の描写に、肉親描写にありがちな甘ったるい慕情はないことだ。徹底的なリアリズムから、大作を無能な人間ではないものの、凡人として描いている。大作は戦時の生活に困惑しながらも、それに反対するでも賛同するでもない。ただ生活をしている。さすがに戦況が行き詰まると多少、狂信にも振れるのも庶民らしい。モダン志向だった当時の東京人のいち典型として、戦争の実情の一面が上手に描き出される。

 次男の公次は時局に適合して画家としての希望を転じ、軍国化していく日本政府や、軍国イデオロギーの拡大装置と化した新聞メディアに寄り添う風刺画家となる。訪問した南方では軍からも援助され、オランダなど欧州の軍隊が撤退した当地で甘美な生活を満喫する。公次を巡るきらめくような南国の描写は、欧州帝国主義の実態を結果的に暴きつつも、倒錯的に美しい。

 この公次の存在は、物語全体の実質的な主人公と言ってもよいかもしれない。美しくも見える戦争というものの醜悪さを体現した人物だからだ。戦後の日本は、日本国憲法前文からしてそうだが、戦争は一部の権力者によって引き起こされたもので日本人大衆はその被害者であったという枠組みで開始された。しかし戦争の情念を実質的に支えていたのは、権力者ではなく、大衆のもつ、戦争への期待を忖度しつつ、ナショナリズムを大衆文化に馴染ませることで有名となった公次のような文化人であった。具体的に公次のモデルとなっているのは、近藤日出造だろう。『一少年の観た〈聖戦〉』(ちくま文庫)で小林は、自身の「戦犯」のイメージとして、近藤のことを語っている。戦中、軍のイデオロギーにすり寄っていた近藤は、戦争が終わるや転身し獄中で苦悶する東条英機を描いた。

 その後の近藤は戦時中の正力松太郎を批判した絵と文を書き、やがて、極左から右に揺れ戻した読売新聞に〈諷刺〉漫画を連載した。が、そうしたことはどうでもよい。
 戦後も二十年以上を過ぎた一九六〇年代の後半、ぼくは同年代のテレビ関係者たちと話をしていた。
 「近藤日出造ってのは許されていいのかねえ」
 と、年長の保守的な一人が言った。
 「あなたも読んでいたの?」
 と、ぼく。
 「読んでいたのなんのって、戦争中のカルチャー・ヒーローだろうが。B級C級戦犯が処刑されて、あいつが平然としているって、おかしくないと思わないか」


 小林はそれに肯いて、こう結ぶ。

 権力の側に立って弱者を誹謗する—それが〈聖戦〉のカルチャー・ヒーローの実態であった。


 弱者に敵を含めるアイロニーが許されるなら、この「権力」を弱者権力という新しい権力に置き換え、強者を誹謗する戦後のカルチャー・ヒーローに変えても、同じことが言えるかもしれない。

「現実は私の考えるギャグを越えてしまった」

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