大学教授・絵崎コロ助が付与した「権威」
「権威」のお墨付き。これは1990年代以降、「サブカル」や「アニメ」が市民権を得たプロセスで必要不可欠だったものである。
たとえばアニメ。のちにバズワード化する「ジャパニメーション」という言葉がもてはやされた時期、その立役者となった作品としてよく挙げられるのが、押井守監督の劇場用アニメ『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年11月公開)と、庵野秀明監督のTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年10月〜96年3月放映)だ。
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』は日本公開当初、主にアニメファン、押井守ファン、原作の士郎正宗ファンといった層に支持されていたが、米「ビルボード」誌のビデオ週間売上で1位になったことが報じられたり、ジェームズ・キャメロンやウォシャウスキー兄弟といったハリウッドのフィルムメーカーが同作を評価して自作への影響を認めたりしたことにより、広く映画ファンや一般層にまで権威付けがなされた経緯がある。〝逆輸入的評価〟が奏功したのである。
『新世紀エヴァンゲリオン』の場合、放映中はこれまたアニメファンや庵野ファン、制作スタジオであるガイナックス作品として注目していた層や、特撮マニアを中心とした限定的ムーブメントだったが、放送終了後にカルチャー誌や批評誌が「評論」や「解読」の対象として取り上げたり、作中で取り入れられている聖書、精神医学、哲学といったアカデミズム方面からの読み解きが取り沙汰されたりしたことで、権威付けがなされた。「オタクが好むアニメ」の地位が劇的に向上したのだ。
『攻殻機動隊』や『エヴァ』は、「海外」「アカデミズム」という外部の力を借りて、アニメに権威を与えた。しかし『こち亀』はそれよりも前に、作中で似たようなことを行っている。
94年24号「活字V.S.漫画論争!の巻」(89巻)だ。ここで権威付けされるのは漫画とアニメである。派出所にある両津の私物漫画を捨てろという部長。「漫画なんてくだらん物を見る暇があったら本のひとつでも読め!」「漫画は子供が見るものだろうが!」と言い放つ。納得のいかない両津はまず、大衆文化の地位について中川に不満を漏らす。
「流行歌よりクラシックの方が権威があるとか!/映画でも賞を獲るにはエンターテイメント性より難解で重いテーマの方が選ばれるだろ」「100人で1人だけ楽しむより99人が楽しめるエンターテイメントの方が世の中の役に立っていると思うがな。大衆娯楽はどうも軽んじられる気がする」
「大衆娯楽」という言葉を使う両津。ここまではあくまでイントロだ。そこに老練の大学教授・絵崎コロ助が登場する。絵崎はややスノッブで、分野によっては知識の底が浅い面もあるが、基本的にはインテリであり、国際感覚に優れた教養人だ。初登場時から一貫して、警察官である両津や部長よりも社会的ステータスが高い人物として描かれている。
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