2007年の特異点とテクノロジー・マッチョ教の崩壊
前回述べたように、両津が声高に叫ぶ、男性的・高圧的・弱者支配的な技術絶対優位主義、いわば“テクノロジー・マッチョイズム”は、「技術や技術まわりの知識の習得が、ある層が特権的に専有しうる状況下」においてしか、成立しない。両津が1996年に言ったように「知る者と知らん者との間の大きな差」がないと、知る者は知らない者の尊敬を集められず、崇められないからだ。
例を挙げよう。インターネットとGoogleがない時代は、物知りの人間にニーズがあった。わからないことがあれば、「物知りの彼に聞こう」という発想に至るからだ。
しかし現在では手元のスマホでググればいいだけなので、物知りの彼のもとに馳せ参じる必要がない。頭を下げて「教えてください」とお願いする必要がない。知識絶対優位主義が崩れたのだ。Amazonの登場によって書店の地位がガタ落ちしたのも、Netflixの登場によってレンタル店としてのTSUTAYAの地位がガタ落ちしたのも、同じ理由による。「わざわざ馳せ参じる必要がなくなった」という意味においては。
そして皮肉なことに、両津のデジタル・デバイド宣言「知る者と知らん者との間の大きな差」は、『こち亀』という作品自体の地位・存在意義がいずれ低下するであろうことも予見していた。
特異点は、デジタル・デバイド宣言の11年後の2007年に登場し、『こち亀』内でも最新ガジェットとしてたびたびもてはやしたiPhoneにあると見る。なぜならiPhoneは、それまでのパソコンと違って、「技術的な仕組みの理解と使いこなしの習熟度が比例しない、革命的なデジタルデバイス」だったからだ。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。