技術解説書としての『こち亀』
『こち亀』は、常に「新製品」に飛びついてきた。最新ホビーに情報家電、デジタルガジェット。要は、“少年の心を持つ大人の男も含む、全男の子”が欲しいと思うモノすべてである。30代の独身貴族たる両津は、新製品が登場するごとに大金を払って初物をゲットし、悦に入る。それは、家計が苦しくとも金に糸目をつけず高価な初鰹を口に入れようとする江戸っ子の美学であり、『こち亀』が視点を設定した大衆の心理(=流行っているモノはとりあえず気になる)そのものでもあった。両津は欲望の赴くまま、新製品を買い漁あさり、大衆の欲望を代弁する。
『こち亀』が単なる新製品紹介に留まらず、最新技術の解説にまで意識的に分け入り始めるのが、1990年代半ばあたりだ。コミックスで言うと80巻前後。このあたりから『こち亀』は小中学生向きのギャグ漫画でありながら、「技術解説書」としての側面を備え始める。時代的にも、ITを中心とした最先端技術──デジカメ、携帯電話、パソコン、インターネットなど──が庶民の手が届く民生品として市場に降りてきたタイミングに一致していた。
『こち亀』の技術解説系エピソードは枚挙に暇がない。
光学機器関連では、アナログカメラのレンズまわり、デジカメの仕組みとスペック、立体カメラ、果ては軍用のスコープやコンビニの監視カメラうんちくなど。テレビ機器・放送まわりでは、ハイビジョンの仕組み、画面縦横(アスペクト)比4:3から16:9への移行、衛星放送(BSとCSの違い、パラボラアンテナうんちく)、ケーブルテレビ局の運営まわり、アナログ停波と地デジの仕組みと、それに関連する「サイマル放送」「ダビング10」「コピーワンス」など。
2010年代以降の新しいところでは、ボーカロイド、AR(拡張現実)、3Dプリンタ、電気自動車、ドローンなども、複数回にわたりフィーチャーされた。
これらは両津がそれぞれのガジェットを使いこなすことで物語が展開する。かつ悪用したり間違った使い方で悪ノリしたりすることによってしっぺ返しを食らうため、エピソード全体がやや平板な「体験・使用感レポート」となっていることが多い。しかし一方で、「当該技術がこの社会においてどのように本質的な意味で革命的なのか、どのようにパラダイムシフトを引き起こすのか」にまで示唆を与えるエピソードも描かれた。
97年5・6号「プリクラ大作戦!の巻」(103巻)と97年36号「デジカメ大作戦!の巻」(106巻)では、両津が当時大流行したプリクラと急速に普及したデジカメを例に出し、「アナログ」と「デジタル」の違いを文字通り小学生にもわかるよう、巧みに説明した。今でこそ常識になっている、「デジタルは1か0」「コピーしても理論上は非劣化」「画素数と画質の関係」など、当時はあまねくすべての大衆が理解できているとは言いがたかった概念を、たった数ページで完全に解説しきったのである。
『こち亀』には、このように技術がもたらす社会的変化まで分け入った回と、単なる技術解説(あるいは製品マニュアル)に終始した回が混在しており、すべてが佳作というわけではない。ただ、玉石混交の「玉」部分に限って言えば、『こち亀』の技術啓蒙書としてのポテンシャルは高い。
そんななか、連載の後半まるまる、実に20年近くにわたって作中でキャッチアップされ続けた技術が、「携帯電話」および「パソコンとインターネット」である。
携帯電話の普及を『こち亀』とともに追いかける
日本の携帯電話の歴史は、1985年にNTTから発売された肩掛け型の移動電話「ショルダーホン(100型)」、あるいは1987年に発売された「(こちらが日本初の“携帯”電話)TZ-802(802型)」をもってスタートする。一般消費者への普及が始まったのは、1991年発売のドコモ「ムーバ」シリーズからだ。
日本における携帯電話・PHSの世帯普及率が急激に伸びたのは1990年代後半。1995年に10.6%だった普及率は、2003年には94.4%にまで達した(総務省統計より)。
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