恒常的に高い、東京の土地
バブル期の『こち亀』は積極的に東京の狂乱地価に言及したが、そこに関連した超高級マンションの相場や寺井の持ち家エピソード、大原部長が自宅売却で利益を出した話は、当時の日本経済のありようを如実に表していた。
ある時代、ある国、ある地域の経済事情をてっとり早く把握するには、住宅事情を参照するのが一番だ。一般庶民が家を所有する難易度、物件価格や家賃相場は、ある時代、ある国、ある地域における経済的豊かさの指標となりうる。
たとえば、両津が住む4階建ての警察独身寮「ニコニコ寮」の間取りはワンルームで、最寄り駅はJR亀有駅。もしここを単身者用の賃貸マンションとして貸したらいくらの家賃が設定できるのか?
94年14号「来たれ!ニコニコ寮!!の巻」(88巻)は、両津がニコニコ寮の空室を勝手に貸し出して家賃をせしめる話。ここで仲介に入った不動産屋が設定した家賃は、8万円(家賃7万円、管理費1万円)だった。
葛飾区亀有は、東京23区内ではあるものの、JR中央線や東急線といった人気の路線沿いではない。両津は「ここ(亀有)でそんなにするのか?」と驚くが、不動産屋は言う。「この家(寮)は新しいし、(地下鉄)千代田線で大手町まで25分だからね」「駅から近いし商店街はあるし、都心まで1本というフットワークがいいよ!」「城西と比べればワンルームで8万円は安いよ」
大手町駅は超巨大ターミナル駅・東京駅に直結し、地下鉄が4線も通る。一帯は一流商社などが軒を連ねるビジネス街だ。そこから30分圏内だとすれば、90年代当時としてもこの家賃は妥当である。
地方在住の人間にとって、東京の家賃は驚くほど高い。そこから10年ほど遡った84年26号「東京住宅事情の巻」(40巻)は、両津の後輩・法条正義(ほうじょうまさよし/出身は三重県松阪市)の一人暮らし用物件を不動産屋に探しに行く話だが、法条の希望は「家賃月1万円、2DKでフロ付きマンションタイプのベランダあり」。無論そんな好条件の物件などあるわけはなく、不動産屋に軽くあしらわれる。ちなみに、両津が「この家賃をまけて1万にしろ」と指をさした物件は、「家賃10万円、4LDKの賃貸マンションで亀有駅徒歩5分」だった。
時は下り、07年1号「本田君の引越しの巻」(156巻)では、世間知らずの本田が六本木(港区)で一人暮らしをしたいと言い出し、呆れた両津は現実を教えようと物件案内に同行する。東京タワーの見える六本木の家具付きマンションは管理費込み25万円。そこを妥協して訪れた渋谷区の狭いマンション(窓を開けると隣のオフィスビルが近接)でも18万円だった。あまりの高額家賃に衝撃を受ける本田。ギャグ漫画の体裁を取ってはいるが、家賃のリアリティは申し分ない。
「東京の土地代は恒常的に高い」ことは、住宅以外でもたびたび言及されている。バブル真っただ中、88年26号掲載回のサブタイトルは「東京駐車場事情の巻」(60巻)。都内で車を持ったはいいが、駐車場代が高く、おまけに数が不足していて停めるところがない両津の後輩・風見の駐車場難民ぶりを、やや誇張して描くエピソードだ。
風見の駐車場は自宅から歩いて30分。「駅まであるいて、ひと駅乗って、そこから駐車場に行けば近いよ」「どうしても時間がない時はタクシーで駐車場まで行くんだ!」「ぼくのアパートから2キロ圏内あいてる駐車場まったくなし!」と風見。東京の駐車場事情を知らない地方在住の読者なら漫画的フィクションとして切り捨てそうなセリフだが、都内在住者ならば意外と納得できるのではないか。その後は両津が都内で1ヶ月6万円の駐車場があると新聞で知り、驚いているシーンも描かれた。
もう1本、都内の土地事情を誇張して描いた傑作回が、89年7号「東京土地なし派出所の巻」(63巻)だ。作中、本庁の総務部から派出所の現場調査に来た警官の説明によると、「都内に派出所は1248あり、東京都の都有地が304、区や国の土地をかりてるのが511あります。のこりの433が民間からかりてる土地です」。その民間から借りている土地については、バブルの地価高騰によって持ち主がビルを建てたり、税金で手放したりで所有者が返還を望むケースが後をたたず、移転を余儀なくされた派出所がとんでもない場所(公衆便所の上、古いアパート、コンビニ内、銀座の路地で野ざらし)に建っている──という話である。
東京の土地は高い。とにかく高い。その“常識”を、誇張を交えて小中学生にも植え付けた『こち亀』の啓蒙的功績を確認したうえで、ようやく本題に入ろう。そう、東京では今も昔も、「庶民がマイホームを手に入れる」のが至難の業だということである。『こち亀』では、寺井という両津の同僚警官をスケープゴートにして、東京で家を持つことの大変さを小中学生たちに──嫌というほど──知らしめた。
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