バブルの口火/地価狂乱で9億円をせしめる両津
『こち亀』を通読すると、連載中(1976〜2016年)の日本経済が、庶民にとっていかなる体感をもって受け取られていたかが、手に取るように伝わってくる。物価、米ドルと円のレート、定期預金の利率、時期ごとの消費税率ほか、銀行のペイオフ解禁で丸々1本分のネタにしたこともあった。
地方公務員(警察官で巡査長)の両津が自らの給与待遇について言及するときの態度にも、世の中の景気がダイレクトに反映されている。公務員の給料は景気に左右されることがないからだ。
景気が悪く民間企業の業績が不調ならば、公務員は「高値安定、安泰」の象徴として羨望の的となる。しかし景気が良く民間企業の業績が好調ならば、公務員の給料は、業績に応じて跳ねない分だけ相対的に安い。そして「安定志向はダサい」という価値観が一般化する。
両津は連載開始当初から80年代のある時期まで、「世の中は不況だが警官の待遇は安泰で良かった」といった趣旨の、勝ち組であることを安堵する発言をたびたびしているが、1987年後半頃を境にパタリと止む。のちにバブル景気と呼ばれることになる、日本経済空前の好況が到来したからだ。公務員の両津にとってバブルとは、民間企業のように好況の恩恵を受けられず、かつ公務員という職業が社会的に「イケてない」扱いされるという、非常に腹立たしい状況だった。
『こち亀』が景気や経済について多く言及した時期は、87〜91年頃のバブル景気およびバブル崩壊直後、そして2005 〜2006年頃に登場した「ヒルズ族」や「セレブ」の勃興時である。『こち亀』はこの2つの山をもって、庶民にとっての日本経済を、体感レベルで活写した。バブル期の非現実的なマネーゲームを、「雲の上の方々の、呆れたお戯れ」と認識して。デフレ期における富裕層を、「庶民が不公平感を抱く、憎むべきルサンチマンの対象」と設定して。『こち亀』は、「持たざる者(大衆)」が「持てる者(金持ち)」に向けるまなざしによって、庶民の生活経済を浮き彫りにしたのだ。
実は金持ちへの「やっかみ」レベルの言動は、バブル以前からも散見される。その大半が、同じ亀有公園前派出所勤務の後輩、中川圭一と秋本麗子をいじるエピソードだ。両者とも世界的大企業、コングロマリットを統括する財閥の御曹司と令嬢。その非現実的な金持ちぶりや庶民とかけ離れた金銭感覚、政界・経済界への露骨なコネクション描写は『こち亀』ギャグの定番中の定番だった。両津はこの二人に対して、あまりにも度を超えた金持ちぶりに呆れ、やっかみ、やがてその莫大な資産を利用してビジネスを試みたり、会社を乗っ取ろうと画策したりする。
しかし、これらはあくまで戯れだ。庶民たる自分たちとは関わりのない、関わりうることのない、雲の上にいる恵まれた人種に対して、命中しない泥団子を投げていたにすぎない。ギャグ漫画におけるフィクション、「ネタ」の範囲だ。
ところが、超好景気の波が日本に押し寄せると、今まで雲の上の話だった金持ちたちのマネーゲームが、庶民の目にも触れることになる。その生々しさが自分たちの生活を脅かし始める。
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