こち亀』は超一級の文化・風俗史料だ!

2016年に連載40年をもって惜しまれながら終了した『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。2019年に平成から令和に年号が変わったことで、『こち亀』は平成日本のほぼすべてを記録し続けた漫画となりました。それはまさに、唯一無二の現代「物語絵巻」「浮世絵」です。9月12日発売の『『こち亀』社会論 超一級の文化史料を読み解く』(稲田豊史)から、特別集中連載スタート(毎週水・土曜日更新予定)。

大衆文化の定点観

 東京都葛飾区亀有出身の漫画家・秋本治の筆による『こちら葛飾区亀有公園前派出所』は、1976年(昭和51年)6月20日発売の「週刊少年ジャンプ」29号に読み切り作品として掲載されたあと、同年42号から2016年(平成28年)42号まで、一度も休載することなく連載された。これは「週刊少年ジャンプ」の歴代最長連載記録であるばかりか、少年誌の最長連載記録でもある。

 連載を収録したジャンプ・コミックスは全部で200巻、収録話数はコミックス分だけで1960話(スピンオフや他誌掲載作品をカウントするとさらに多い)。総発行部数は累計1億5000万部以上。この200巻という数字は、「最も発刊巻数が多い単一漫画シリーズ」として、ギネス世界記録に認定されている。

 1996年6月から2004年12月には主人公・両津勘吉の声にラサール石井を起用したTVアニメシリーズが放映されたほか、同じくラサール石井が主演・脚本・演出の舞台版が1999年より数年おきに制作された。2009年8〜9月には両津役を香取慎吾が演じるTVドラマ版が放映され、2011年8月にはその劇場版『こちら葛飾区亀有公園前派出所THE MOVIE 〜勝どき橋を封鎖せよ! 〜』が公開されている。

 受賞歴も華やかだ。第30回日本漫画家協会賞大賞、第50回小学館漫画賞審査委員特別賞、第21回手塚治虫文化賞特別賞、第48回星雲賞コミック部門で受賞しているほか、秋本治個人としても、第64回菊池寛賞、第67回芸術選奨文部科学大臣賞、後述する紫綬褒章の栄誉にも輝いている。『こち亀』は名実ともに日本を代表する国民的漫画なのだ。

 その『こち亀』の連載終了が発表されたのは2016年9月3日、神田明神への「こち亀絵巻」奉納式の日である。絵巻(絵巻物)とは、「横に繰り広げる巻物形式の絵。(中略)内容は世俗物語の絵画化、和歌の情景描写など鑑賞用のもの、寺社縁起や高僧伝など宗教的教化の意を加えたもの、記念・記録のためのものなど多様」(平凡社「百科事典マイペディア」より抜粋)とある。『源氏物語絵巻』『鳥獣戯画』がよく知られており、「横長の連続画面に視点を移動させていくという特性」(同)からして、現在の漫画に通じるメディア特性を持っていると言えるだろう。

 絵巻は大和絵という日本独自の絵画様式に分類される。その大和絵を源流とし、江戸時代に流行した庶民的な絵画が浮世絵だ。

 浮世絵とは浮世(はかない世の中、変わりやすい世間)を描いた風俗画(庶民の普段の生活を描いた作品)のことで、当世の町人たちに人気のあった人物・流行・芸能・ファッション・江戸のランドマークや行楽地・耳目を集めた天変地異などが描かれている。

 浮世絵の特徴は大きく3つ。上から目線の芸術ではなく大衆・庶民のための娯楽であったこと、「時代の今」「大衆のニーズ」を素早く取り入れていたこと、精緻な描き込みによる史料的価値があること─―だ。

『こち亀』は、この3点を完全に満たしている。世俗を非エスタブリッシュメント、すなわち生活者の目線で描き、社会や人々の生活・気分・好奇心を、濃厚なまま、希釈することなく、過剰な装飾で見栄え良く整えることなく、できるだけその時代の空気をとじこめる形で、そのまま史料保存した漫画作品。それが『こち亀』だ。

 浮世絵ではしばしば、古典物語や伝奇小説をモチーフにした豪傑の武勇伝「武者絵」が描かれた。天下泰平の徳川治世下、多くの大衆が戦を経験していなかったからこそ、彼らは荒々しいヒーローの大活躍にロマンを膨らませたのだ。同じように、対外戦争を1度も経験せず、どちらかと言えば豊かで暮らしやすい社会がまったりと続いた『こち亀』連載中の昭和末期から平成終盤の平和なニッポンにおいて、まったりをぶった切る破天荒キャラの両津はヒーローとして愛された。この点も実に浮世絵的だ。

 1976年から2016年まで連載された『こち亀』を通読すれば、その期間、すなわち昭和のラスト5分の1と平成の大半に存在した、日本社会の大衆文化・世相・政治経済がすべてキャッチアップできることになる。しかも、目線は常に“大衆”に固定、つまり定点カメラだ。

 『こち亀』が日本のある40年間の文化風俗を克明に写し取った鏡なのだとすれば、それは紛れもなく昭和・平成期の浮世絵である。『こち亀』は奉納用に描き起こされるまでもなく、漫画の時点ですでに絵巻であり、大和絵にルーツを持つ浮世絵であった。これほど貴重な文化風俗資料・史料は他に類を見ない。

 また、浮世絵には肉筆のものと木版画のものがあったが(多色摺りの木版画の浮世絵を「錦絵」と呼ぶ)、手軽な庶民文化として爆発的に普及した理由はなんと言っても木版画による大量生産と、それがもたらした低価格であろう(版画の値段は蕎麦一杯分だったという)。そのあたりも「週刊少年ジャンプ」という、「超大量発行部数、小学生の小遣いでも手に入れられる低価格の複製メディア」によって流通した『こち亀』に性質が近い。

 なお、神田明神への「こち亀絵巻」奉納を報じるニュース記事には、こう書かれていた。


「こち亀が描かれた40年で、漫画の評価は大きく変わった。かつては子供向けの一段低い文化とみる人も多かった。それが絵巻となり、〝江戸の総鎮守〟神田明神に『その時代の生活、風俗を知る貴重な資料になる』と感謝され、奉納されたのだ」
「スポニチアネックス」2016年9月6日


ノスタルジーではなく、「今」を描いている

 『こち亀』は30代中盤で派出所勤務の警官・両津勘吉を主人公としたギャグ漫画だが、『こち亀』をまったく知らない者から「どんな内容の漫画か」と問われれば、『こち亀』を読み込んだ読者であればあるほど、答えに窮してしまうだろう。

 『こち亀』はバイオレンスポリスアクションであり、マニアックな男の子ホビーやサブカルの啓蒙書であり、ブームやトレンドや新製品をいち早く紹介する情報漫画であり、さまざまな職業を疑似体験させてくれる体験レポートであり、社会や経済やビジネスの仕組みを子供にもわかるよう噛み砕いて説明する解説本であり、あらゆる知識の教養書であり、雑学書であり、下町文化の広報メディアであり、下町人情物語であり、東京の都市論だ。

 そして、以上の要素のかなり多くが、その時代ごとの世相を完璧に──すべて大衆目線という完全定点観測という手法をもって──反映された形で作品に盛り込まれている。

 『こち亀』を「東京の下町文化・下町人情を描いた漫画」というイメージで捉えている人は少なくない。特に1996年のTVアニメ化以降、『こち亀』は「古き良き下町文化と下町人情」のエヴァンジェリスト的ファミリーアニメとして、幅広い世代に愛されるようになった。

 1996年と言えば連載20年目、ちょうど真ん中あたりだが、たしかに原作でも、そのあたりの巻から下町文化を“好ましきもの”“残すべき文化”として紹介・称賛するエピソードが増え始めた感がある。その10年後の2006年には、JR亀有駅前に1体目の両津の銅像が建ち、『こち亀』は「地域からのお墨付き」の象徴ともなった。

 また、これら“好ましき、古き良き下町文化”イメージの支柱として機能するのが、特別編的な扱いでたびたび描かれる、おおむね昭和30年代を想定した両津の少年時代エピソードだ。

 そこでは、ある種『三丁目の夕日』的なノスタルジーが礼賛されている……ようにも見える。

 こういったイメージの堆積から、『こち亀』を「古き良き下町文化や下町人情を、ノスタルジー込みで美しく描いた作品」だとする向きには、異論を唱えたい。なぜなら、むしろ『こち亀』は、常に時代の「今」を、良い意味で無批判かつ正確に、一心不乱にトレースし続けてきた作品だからだ。

 2019年に刊行された『秋本治の仕事術──『こち亀』作者が40年間休まず週刊連載を続けられた理由』(集英社/秋本治・著)によれば、秋本自身はもともと『こち亀』で下町をフィーチャーするつもりはまったくなかった。連載が長期化するにつれ、初期の作風だった「バイオレンス劇画風味のギャグ漫画」というテイストのままでは先が見えなくなり、担当編集者の提案で下町をテーマにしたエピソードを描くようになったという(同書P.22)。

 作品の成り立ちからしても、『こち亀』の本義・本懐は「下町」ではない。「下町」は単なるシーズニングにして、後乗せのトッピング。決して『こち亀』の本尊ではないのである。

 『こち亀』は秋本治の高いアンテナ感度と、40年間ぶれることない大衆視点、世相や流行を最速で作品に落とし込む異常なフットワークの軽さによって、まるで新聞の風刺一コマ漫画のようなスピード感で、時代ごとの「今」を、文字通りライブで活写してきた作品だ。

 『こち亀』は、その瞬間に描かれた最新ネタが古くなることを恐れない。連載終了後に発表された秋本のインタビュー記事にはこうある。


 ただ秋本さんも以前は「今新しいものを出すと、古くなるよ」と言われたことがあったという。
「ちょうどパソコンが出はじめのころ。でも、逆に今それを描いておけば時期も分かるかもしれないと思った。そこで、あえて出すようにしたんです」
ハフポスト日本版「こち亀作者、秋本治さんが語るマンガの神髄。生みの苦しみと楽しさは“ネーム”にある」2019年4月14日


大衆の無意識な残酷さを代弁する

 常に時代の「今」を、良い意味で無批判かつ正確に。この“無批判”は大事な点だ。

 秋本は、その時々の大衆の最大公約数的な“気分”を、(無意識にせよ)正確に代弁する役割を40年間にわたって果たした。『こち亀』は常に、その時どきの大衆世論に占める多数派のオピニオンと一体化した態度を取り続けたのだ。

 バブル景気が取り沙汰されれば地価高騰を嘆いて庶民のつらさにため息し、プリクラが流行ればミーハー精神全開で現場をリポートし、パソコンやスマホの新製品ラッシュが報じられれば嬉々としてトレンドの波に乗る。バブルで甘い汁を吸っている金持ちが気に食わなければ苦言を呈し、テクノロジーに追いつけない老害シニアは遠慮なく嗤い飛ばす。

 秋本は自身の情報ソースとして作品執筆中のラジオを挙げている(『秋本治の仕事術』P.77、79)が、いわゆる“大衆労働者”がながら聴きすることを想定した日中のラジオ番組ほど、大文字の「大衆」「庶民」「労働者」に目盛りをピタリと合わせたオピニオンを流し続けるメディアはないだろう。これは、未検証の情報を最速で出すネット記事の性質からは対極に位置するものであり、大衆に根付いた肌感覚としての、人口に膾炙した「世間の常識」を漫画に翻訳した『こち亀』の性質をよく表している。『こち亀』がエリート意識の強い「ビジネスマン」ではなく、昭和的庶民たる「サラリーマン」の心情を代弁する立場にあることがうかがい知れるエピソードもあるくらいだ。

 ここで注意しなければならないのは、大衆や庶民は、決して常に道徳的で善良な市民ではないという点だ。彼らはワイドショーや週刊誌のゴシップ記事が大好物で、ポピュリズム(大衆に迎合して人気を得ようとする政治的態度)になびき、無自覚に残酷な存在である。

 『こち亀』が代弁する「大衆の無自覚な残酷さ」が狙いを定めるターゲットについては別回で後述するが、『こち亀』は驚くほどの──まさしく小中学生男子レベルの無邪気さで──モラルのかけらもない「大衆の気分」を代弁していた。ここにおける“大衆”は“衆愚”と言い換えてもよい。『こち亀』はその作中で、現在では侮蔑語に分類される“オカマ”“ホモ”にはっきりと嫌悪感を示し、目を覆うほどの女性蔑視発言を連発する。80年代、90年代ならいざしらず、連載最後の10年間ですら、それなりにヒヤヒヤする両津の発言は少なくなかった。

 『こち亀』は、大衆が、その時期にもっとも叩くべき敵が誰で、バカにする対象がどのような属性の人間で、キャッチアップすべきトレンドが何かを、きわめてコンパクトに、小学生にでもわかるような形で毎週のように提示していた。そして、その「嗤うべき対象」には、一時期確実に、男性同性愛者や、男性の趣味を理解しない「(両津が言うところの)“ブス”で“創造力がねえ”女性」が含まれていた。「ワイドショーや週刊誌のゴシップ記事に興味を示し、ポピュリズムになびき、無自覚に残酷」な衆愚の代弁者──『こち亀』にはそんな側面もあったのだ。

 『こち亀』は、日本社会における「ある瞬間における多数派」は誰なのかを明示し、そこに身を置くことの安全さも説く。『こち亀』は「郊外マイホームを持つのはカッコ悪い」「男なのに女っぽいのはカッコ悪い」「リア充な坊っちゃん嬢ちゃんは無条件に敵認定」という、その時代における“多数派”の常識を、小中学生相手に植え付けた。

 “植え付けた”という言い方は決してオーバーではない。『こち亀』が掲載されていた「週刊少年ジャンプ」の発行部数は、最盛期だった1990年代前半で600万部以上。近年は200万部を割ってはいるが、2000年をまたぐ数年間「週刊少年マガジン」に首位の座を明け渡した時期を除き、少年漫画誌の中では首位の売上だった。しかも『こち亀』のコミックス発行部数は全200巻総計で1億5000万部以上である。小中学生への影響力を無視してよい数字とは言えないだろう。

触媒としての『こち亀』

 かつて『こち亀』(内でのおもに両津)が、あるエピソードで主張していたことが、のちに大きく思想転向されたケースは少なくない。女性の知性をあからさまに貶めていた両津が、フェミニズムに寄った態度を取るようになったり、二次元系のオタクをはっきり毛嫌いしていた両津が、彼らを趣味人として尊重するようになったり。『こち亀』に思想性はもともと希薄だが、政治的主張という意味での終始一貫した思想はほとんど確認できない、と断言できるゆえんだ。

 時代ごと、その瞬間ごとの大衆の(多数派の)声を汲み取ることに徹していれば、当然こういうことになる。極論するなら『こち亀』は触媒であり、それ自体が何かを主張する作品ではない。

 思想性に欠けるのは、記録であり、史料だからだ。無批判かつ無邪気に、描かれた時点の世相と大衆のニーズを正確に写し取ることだけに特化した、浮世絵だからだ。

 このような節操のなさこそが『こち亀』だ。一貫した主張や作家性が内包されていない“からっぽ”であることが、むしろ『こち亀』の作品性だと言えるだろう。一貫しているのは“大衆目線であること”、それだけだ。それが「定点観測」の意味である。

 フィクションの設定レベルでも『こち亀』は整合性をおざなりにしている。両津が葛飾署に卒配されたエピソードは異なるものが複数描かれているし、両津の上司である大原部長の誕生日もコロコロ変わる。しかも、作者の秋本はそれをまったく意に介していないどころか、読者からの指摘を逆手に取ってネタにすらしている。開き直っている。はなから整合性や一貫性など、どうでもいいのだ。

 『こち亀』の一貫性のなさは、絵柄のレベルでも顕著だ。長期連載漫画の絵柄が変わるのは珍しいことではないが、『こち亀』の場合、ある時期以降におけるモブキャラ(背景として描かれる群衆)の「オタク絵化」が著しい。在籍していたアシスタントの違いによる作画の変化と思われるが、ここまで秋本自身の絵柄と乖離した絵柄を、相応の存在感(場合によってはセリフまで与えられている)でコマ内に同居させること自体、絵レベルの一貫性のなさ、こだわりのなさを、作者である秋本自身が“許容している”と見るべきだろう。

 その意味で、世の中の流行や時流を常に収集し、毎週1本という驚異的なスピードで『こち亀』を40年間、一度も休載することもなく、無邪気に“生産”し続けた秋本治は、完全な触媒──辞書的に言えば「化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないもの」──だ。それはそれは無反省に、まるで自動書記のように。

タモリと共通する「無反省」と「無節操」の美学

 「無反省」であることで思い起こされる芸能人が、タモリである。1982年から2014年まで32 年間、月曜から金曜日の日中に全8054回も生放送された『森田一義アワー 笑っていいとも!』に出演し続けたタモリは、それだけの長期にわたって番組を続けられた理由を「反省しないから」だとインタビューで語ったことがある。2014年3月28日放送の『めざましテレビ』に出演した際には、反省しないことに加えて番組を録画して見直したことは一度もないと明かした。

 ただひたすらに、自己を見つめることなく、後ろを振り返らず、無反省に毎日を重ねていくほうが結果として長く続けられるということを、タモリはよく知っている。自分のパフォーマンスを自分でダメ出ししたり、他者からの評価に一喜一憂したり、重い内省にはまり込んでいいことなど、ひとつもない。タモリはそれをよくわかっている。

 その意味でタモリはスポーツ選手や芸術家ではない(と本人が自覚している)。ある試合のある一瞬に生涯最高のパフォーマンスを出すための鍛錬、一瞬のひらめきのために生活の安寧を犠牲にすること。そのようなスタンスからは明確に距離を取っている。サステイナブル(持続可能)であることこそが、タモリのプロ意識であり美学なのだ。

 秋本のスタンスもそれに近い。『秋本治の仕事術』では批判を無視することを推奨し、そのうえで「『ここがダメだといわれたから、次はこうしよう。いや、ああしようかな?』とフラフラ迷うと、間違いなく作品はダメになってしまいます」(同書P.104)と断言する。そして「僕がこんなふうに冷静でいられるのは、ネットでの評価をほとんど見ないから」(同書P.106)だとも。

 もうひとつ、『笑っていいとも!』は、時流におもねる形でコーナーを次々と刷新してきた。その時どきで「おもしろそう」と思えるものを、無節操に取り込んできた。耐用年数の過ぎたポリシーやプライドなどに一切こだわらずに、だ。

 一方の『こち亀』。「最初に設定した路線にこだわらず、そのときどきに僕の好きだったもの、たとえばミリタリーやゲーム、デジタル機器などをテーマに取り入れ、少しずつ内容を変化させていきました」(同書P.24)。一貫性よりも、瞬間瞬間の興味を優先する刹那主義、開き直ったノンポリが、気持ち良いくらいに貫かれている。

 ともすれば軽率と取られがちな「無反省」と、ポリシーがないと低く見られがちな「無節操」32年続いた『笑っていいとも!』と40年続いた『こち亀』には、このような共通点がある。気負いのなさと、場当たり的な力の抜け具合。常にトップギアでアクセルを踏み抜くのではなく、低めのギアで適当に流す。これこそ燃費のいいロングドライブの秘訣なのかもしれない。

 別のたとえを出すなら、老舗和菓子屋だ。100年以上続く古都の和菓子屋は、なぜ続いているのか。多くの人は「ずっと味が落ちないように守ってきたから」と言う。が、本当は違う。その時代時代の日本人の味覚の好みに合うように、材料や製法を微妙に変えてきたからだ。歴史ある老舗ほど、時代と寝る。

 ちなみに、両津の大叔母にして老舗・超神田寿司を経営する擬宝珠夏春都(ぎぼしげぱると)は、破天荒な両津を超神田寿司2号店の店長に指名し、奇抜な経営アイデアや新メニューをたびたび承認している。移動トレーラーによる出張店舗を両津が提案した際も、スタッフの「高級店のイメージが壊れるかも…」という懸念に対して「どうだろね。判断するのはお客様だから。ただ、新しい発想はいつの世も必要だよ」と言って両津の提案を通した(07年38号「移動超神田寿司出前500kmの巻」160巻)。

 何十年も前の日本人の味の好みと、現在のそれは大きく違う。であれば漫画も同じだ。その時代その時代の小中学生の好みや興味のあることを、手を替え品を替え、それこそ無節操に取り上げてきたからこそ、『こち亀』は長寿連載となった。都度都度の延命措置がうまくいったのだ。『こち亀』は時代と寝た漫画である。

小中学生向け「社会の仕組み」の教科書

 『こち亀』が小中学生に向けた、「実社会についての教科書、百科事典」の側面も持ち合わせていることは、何より小中学生時分に『こち亀』を読んでいた方ならば理解できるだろう。『こち亀』は、ある文化・ある業界の仕組みなりエッセンスなりを、小中学生にもわかるような語彙をもって、体系的かつコンパクトに記述することに成功している。

 昨今「週刊少年ジャンプ」購読者の年齢が上がっているとはいえ、『こち亀』のスタンスとしては、一貫してメインターゲットを「小中学生」に設定して描かれていたことを忘れてはならない。それは、作中で披露される他愛もない男の子向けエロスやお下劣ギャグの数々からしても明らかだ。

『こち亀』は、小中学生たちがいずれ参加することになる実社会の「予習機能」を果たした。

 子供たちは両津の月収やボーナスの金額で「庶民的な警察官の収入」にアタリをつけ、東京の厳しい住宅事情を把握し、税金や選挙の仕組みを知り、経済紙や情報バラエティ番組並みの詳しさをもって最新ガジェット・最新技術・新商品開発の内実やマーケット特性を学び、農業・漁業といった第一次産業から、小売業、サービス業まで、幅広い「はたらく人たち」の実態を両津の体験レポートとして心に刻んだ。まさに実社会の仕組みを解説した教科書である。

 無論これらは『こち亀』に頼らずとも、新聞やTV番組、学校でのカリキュラムや親からの教育によって達成することはできる。ただ、それらの多くは情報が断片的であり、もしくは網羅性が高すぎて、エッセンスだけを理解するには冗長すぎる。あるいは、ローティーンの語彙ではカバーできない専門用語だらけだ。

 しかし『こち亀』は、わずか20ページ前後という驚異的にコンパクトな、かつキャッチーで口当たりのいい漫画という形式で、社会の構造と仕組みを単純化し、かつ親しみやすいキャラクターが絡むエピソードという形で学ばせてくれた。この功績は計り知れない。

 秋本自身も、世の中が急速にデジタル化して時代が変化した時期、それらを取り上げると大きな反響があったと振り返り、こう記している。


「『こち亀』の両さんというフィルターを通して、読者の子どもたちに世の中の変化を伝えられたことは、それなりに意義があったと思っています」
(『秋本治の仕事術』P.160)


『こち亀』を鑑賞する第四の視座

 なぜ『こち亀』の連載終了から3年以上も経ってから、同作についての論考をしたためようと思ったのかを、軽く記す。

 筆者はつねづね、『こち亀』連載終了前から、『こち亀』に対する評価の深度や視座が、世の中にまったくもって足りていないと感じていた。先に述べたような「下町文化啓蒙」的な役割だけがことさらに褒めそやされる空気をもどかしく感じていたし、時折ネット上で話題になる「『こち亀』は未来のテクノロジーを先取りしていた」というような、後に実際の商品として登場するテック系ガジェットをアイデアレベルで作中に登場させていた点を称揚する記事テンプレ的なお手軽さにも、ある種の苛立ちを感じていた。

 そんななか、本稿冒頭「神田明神に『こち亀絵巻』が奉納」のニュースとともに、『こち亀』終了の報が舞い込む。「“江戸の総鎮守”神田明神に『その時代の生活、風俗を知る貴重な資料になる』と感謝」の文字が目に飛び込んで気づいた。『こち亀』は資料であり史料なのだ。

 すると、ここ10数年の『こち亀』に感じていた不満──あくまで個人的に感じていた漫画作品としてのつまらなさ──が、一切気にならなくなった。むしろ『こち亀』の資料・史料価値は、半端なく高い。『こち亀』を、各エピソードが「ジャンプ」に掲載された年月と注意深く照らし合わせて通読すれば、日本の大衆文化風俗史が40年分網羅できるはずだ

 秋本の大先輩である漫画家の故・赤塚不二夫氏は、コミックス第90巻の巻末寄稿文で、『こち亀』を「アクションは小学生向け、セリフの面白さは中高生向け、テーマは大学生向け」と評していた。ここに加えて、本連載では『こち亀』の史料的分析という「大人向け」の視座を提案したい。

 2019年11月2日、秋本は紫綬褒章を受賞した。この報を聞き、筆者は思わずこうツイートした。


 小中高時分に読んだ『こち亀』でサブカルのなんたるかと、日本社会のありようと、大衆文化風俗史を学んだ身としては、嬉しいとしか言いようがない。おめでとうございます!


 このつぶやきに込めた深い敬意を忘れることなく、自らの社会性を育んでくれた社会教養書としての『こち亀』を、じっくり解体していこうと思う。

*本連載は、稲田豊史・著『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレスより9月12日発売予定)の一部章をcakes用に再編集したものです。


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この連載について

こち亀』社会論 超一級の文化史料を読み解く

稲田豊史

昭和~平成にかけて「週刊少年ジャンプ」で読まれ続けてきた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。連載40年、全200巻という偉業を果たした国民的漫画は、大衆社会を活写し続けたまさに「浮世絵」です。「こち亀と日本社会の40年」を紐解いた『『こ...もっと読む

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コメント

Yutaka_Kasuga 書籍の冒頭0章短縮版はこちらにて無料で読めますので、試し読みがてらどうぞ! ↓ 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

SK7FISH えっ俄然こち亀読みたくなってくるじゃん。なんだよ、こんな特異点の塊みたいな作品だったのか…… 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

pot_33 「資料であり史料なのだ。」 そ!れ!な!!! あんなにわかりわすくて早い情報マンガ他にないよ…いまだに連載終わったの悲しいし新作待ちわびてる… https://t.co/jh900FQQxM 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

ep_syoseki cakesさんで「 ご覧いただき、ありがとうございます!リアクションを見て、本当に 約2ヶ月前 replyretweetfavorite