ずっと、遠くへ行きたかった
気持ちのよい風が吹いている大きな草原。すこし遠くに木々が生えていて、生い茂る葉は優しく揺れている。日差しはあたたかく、やわらかい。小川があったり、小鳥が囀っていたりすることもあった。
そこは、幼少期から強い不安を持っていた私が、ひとりで居る時や、夜中に家族が寝静まった時間に、目を閉じて思い浮かべる場所だった。その想像の景色の中では、怯えることもなく、不安から解放されて安らぎを感じていた。
店舗やビル、住居が立ち並ぶ大阪の中心部で育った私は、身近に自然が少なかったから、豊かな自然のある場所に強い憧れがある。いつも想像していた場所、それは本から得たイメージであったり、テレビ番組やゲーム、写真、映画の中にみつけた景色だったりした。誰もいないどこか遠くの知らない場所へ行くことを望んでいた。
13歳の時にはじめてひとりで遠出したときは、中年の男性に「一緒に遊ぼうよ」と手首を掴まれ必死に逃げ帰り、散々で、以降なかなかひとりで遠出が出来なかった。19歳の時は、人々に忘れ去られた廃墟に興味があって、その廃墟が残るという離島を知り、どうしても見てみたくて出掛けた。だけどそこは観光地化されていて、人間に管理された場所には神秘性をあまり感じられず感動も少なかった。
家を出て各地を転々としながら住み込みの仕事もした。雪の降り積もる箱根、亜熱帯気候の八丈島、さわやかなリゾート地の那須、海に囲まれた石垣島。新しい場所に行く度に、いろいろなおもしろい発見があった。美しく雄大な景色もみた。けれども、突き刺さるような体験はなくて、気が休まる場所も見つけられなかった。だから、安らぎが欲しいときは、やっぱり目を閉じて想像していた。
遠くへ行こうとしていた。だけどもっともっと遠くへ行きたかった。
その景色を目にして混乱する
フランス人パートナーとの出会いがきっかけで、フランスの東に位置するジュラ地方にやってきた。そこは森や湖や山など豊かな自然が広がる場所で、家を出て数分歩けば遮る人工物のない、自然のある景色を見つけることができる。
そこではじめて目にしたのは、いつも頭の中で想像していたような景色だった。川沿いのまっすぐ続く道、脇には可憐な草花が自由にのびのび生えていて、遠くに木があって、鳥が囀っている。光が淡く優しく、心地よい風が吹いて植物や木の葉っぱがゆれている。これが目を閉じて想像した景色ではなく、この目で実際に見ているものだということが信じられず、混乱した。不思議な浮遊感と高揚感を覚える。
ずっと望んでいた、どこか遠くの知らない場所に来てしまったんだ。
それからは、来る日も来る日も景色を探しに出掛けた。ひとりで夜明け前の早朝にカメラを持って、気になる知らない道を探検してどんどん歩く。人がいない時間に歩いていると、現実感がなく、別の世界にいるような気持ちになって楽しい。夜明け前のひっそりした青い景色や、霧に閉ざされた神秘的な白い景色、何もない風が吹き抜ける草原の景色なんかを、夢中になって撮った。特徴的でも美しく雄大でもない、そんな景色にどうしてだか惹きつけられる。私が撮りたいものって何だろう。
撮り溜めた景色の写真を眺めていると、それは「さびしさ」なんだと思った。さびしい景色の中に居ると、なぜかそこが自分の居場所のように感じ、落ち着く。だからもう目を閉じて想像をしなくなった。代わりに景色を見つけて撮るようになった。自分の撮った写真が好きだ。そこに安らぎを見つけることができて嬉しい。私はこんな景色をずっと撮り続けていきたい。
満ちる好奇心
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