「清国との条約を改正することがいかに重要か、私にも分かっています。だからこそ、その方策を練ってからにしたいと思っていました。十一月に使節団が派遣され、すぐに年末になりました。それでようやく正月が明け、副島さんと方策について話をしようと思っていたところです」
「それは詭弁だ!」
副島が立ち上がる。
「待って下さい。私だって勅書を踏みにじるわけにはいかない。だからといって副島さんに無駄足をさせるわけにもいかないでしょう」
「それでは、わしの外務卿としての立場がない」
副島は堅物で、自分の面子を重んじる傾向があった。欧米との外交権を奪われた外務卿という立場が、副島にとっては耐え難く、せめて清国との外交で実績を挙げ、岩倉らが帰ってきた時、それを首実検に供したいのだ。
しばらく考えた末、大隈はうなずいた。
「分かりました。すぐに許可します」
「えっ、いいのか」
「はい。ただし条文の改正には一切触れず、ただ批准して下さい」
「どういうことだ」
肩透かしを食らった形の副島が首をひねる。
大隈は言葉を区切り、副島に諭すように語った。
「まず大切なのは、この条約を正式に発効させて国交を樹立することです」
「そんなことは分かっている」
「ですから、清国に行ったら礼を尽くして相手を褒め上げ、今の条文のまま批准するのです」
「それでは、わしの面子が丸つぶれではないか」
「いえいえ、首はほかで取ってもらいます」
「そうか。その代わりに何かあるんだな」
ようやく副島が大隈の内心を見抜いた。
「さすが付き合いの長い副島さんだ。私の内心などお見通しですね」
大隈としては、世辞の一つも言って副島の機嫌を取らねばならない。
「そうだ。そなたがいい顔をする時は、必ず裏に何かある」
副島が苦笑いを浮かべる。
「副島さん、今回の渡清で二つのものをいただきましょう」
「二つとは——」
「朝鮮半島と台湾です」
欧米との条約改正は岩倉使節団に任せた形になっていたが、留守政府は清国、朝鮮、台湾に関する外交権は持っていた。清国については国交を樹立することに傾注してきたが、台湾と朝鮮については帰属がかかわってくるので、問題は厄介だった。
岩倉使節団が旅立ったと同じ明治四年十一月、琉球諸島宮古島の島民六十九名が琉球に年貢米を納めた帰途、台風に出くわして台湾の東海岸に漂着した。ところがこれに驚いた生蕃(台湾原住民)に五十四名が虐殺された。これを聞いた世論は激高し、この事件の責任の所在を明らかにし、清政府から賠償金を取ろうということになった。
一方、朝鮮国との問題は、さらに複雑な様相を呈していた。明治政府は明治元年に対馬藩主の宗氏を介して王政復古に至る経緯を説明し、国交の樹立を求める国書を提出した。しかしこの頃、朝鮮国では排外主義者の大院君が主権を握っていた。大院君は日本の近代化政策を見下し、様々な難癖をつけて国交を樹立しようとしなかった。それでもしつこく迫ると、「朝鮮国は清国の冊封体制下にある属国なので、外交的決定権を持たない」という回答だった。もし本当に属国だとしたら、日本は朝鮮国に対し、外交面で迂遠な方法を取らねばならなくなる。
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