副島さん、もう武士の世ではないのです」 |八面六臂(九) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。


 留守政府に一抹の不安を抱きながらも、岩倉使節団は旅立っていった。それを見届けた大隈は、さっさと近代化への新たな政策の立案に取り掛かる。

 そもそも「十二カ条の約定書」は大隈が起草したもので、そこには抜け穴が用意されていた。

 すなわち第六条で「新たな政策を凍結する」としているにもかかわらず、第七条で「廃藩置県の延長線上にある政策については改革を続行する」と記しているため、解釈次第ではいかようにも取れるからだ。

 しかし「十二カ条の約定書」で西郷と板垣を抑止する必要はなかった。二人は複雑な政治問題を理解しようとせず、各省から持ち込まれる様々な要望にも興味を持たず、会議中でも昼時になると弁当を食べに行ってしまう。それからは二人で戊辰戦争の回顧、相撲、釣りといった雑談にふけり、人を呼びにやっても出てこないのだ。

 痺れを切らした三条と大隈のどちらかが、二人を直接呼びに行けば、ようやく会議の席に戻ってくるものの、西郷などは「すべて足下に任せるので好きにやってくれ。何をやっても異存はないので、印形を預けておく」と言って、実際に自分の印鑑を大隈に預けていった。

 それならそれで、大隈にとっては構わない。大隈は水を得た魚のごとく、次々と近代化政策を打ち出していった。

 この時期に大隈が関与した近代化政策としては、財政・地方制度の統一、外国債処分・紙幣償却、裁判権の独立、兵権の統一と徴兵制度、兵部省改革(陸軍と海軍の二軍制)、教育制度の統一、学制の制定(義務教育制)、四民平等の布告、人身売買禁止、国立銀行条例公布、太陽暦の採用、銭湯での混浴禁止といったもので、文字通り多岐にわたり、いずれも近代化、すなわち中央集権化による近代国家建設のために必要なものだった。

 これらの改革は、軍事は山縣有朋、外務は副島種臣、司法は江藤新平、文部は大木喬任らが主導し、必ずしも大隈が中心ではなかったが、政府の主幹となる財務に関しては、井上馨の助けを借りながらも大隈主導で行われた。

 財政の統一はとくに重要だった。これは旧貨幣や藩札がいまだ国内で流通しており、外国人との取り引きにも使われるので、その苦情が多数、政府に寄せられていた。

 そこで大隈は新貨幣の使用を強制すると同時に、期限を設けて旧貨幣や藩札との交換を促した。さらに諸藩の債務を政府が肩代わりまでしたので、政府の財政支出は膨大なものとなっていった。

 さらに大隈は国民生活の均一化を図るべく、藩ごとのまちまちな税制を取り払い、諸藩の出した禁制を一括して廃止し、土地の売買も自由とした。

 だが、すべてが大隈の思うままに進んだわけではない。大蔵省を預かる井上や渋沢栄一は、政府全体の歳入から各省の定額の予算を定め、歳入と歳出のバランスを取ろうとしたが、文部省の大木は新たな学制の実施のため、法務省の江藤は司法制度改革(地方裁判所の設置など)を主張し、定額予算制度に大いに反発した。大隈は板挟みとなり、その調整に苦労した。

 それでも立ち止まらず、いかに複雑な問題でも解決し、大隈は近代化へ向けて一歩一歩進んでいった。


 明治六年(一八七三)一月、ようやく松飾りが取れて大隈が政府に出仕するや、正月の挨拶もそこそこに訪れてきた人物がいる。

「これは副島さん、あけましておめでとうございます」

 大隈が新年の挨拶をしたが、副島は不機嫌そうな顔のまま、「話がしたい」と言ってきた。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません