その一点において、まずは結束しませんか」 |八面六臂(七) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

「そうだ。われらとは団結力が違う」

「しかし薩摩二才(さつまにせ)は物事を考えません。それがわれらと違う点です」

 二才とは若者のことで、彼らは「おせんし(先輩)」の命令に黙って従うのを常としている。もしも異論を唱えれば、議者(口だけの者)として仲間外れにされる。

 副島が初めて口を開く。

「つまり結束を取るか、自由を取るか、ということだな」

 大隈がすかさず言う。

「そうです。われら佐賀出身者は、自由闊達に意見を交換し合えるところがいいのです」

 長州や土佐にも自由な気風はあるが、個々が別の派閥に入って政敵になるほどではない。せいぜい個人的に仲がよくないという程度のことだ。つまり、いざとなれば結束できるだけの団結力は保持している。

 江藤が口を挟む。

「個々の意見が違い、それによって政治的立場を違えるのは致し方ない。だが向後は、われらが結束しないと大きな弊害が出る」

 運ばれてきた膳に舌鼓を打ちながら、大木が問う。

「確かにそうだな。われらは政治勢力となっていないので、個々が薩長のどちらかに腰巾着のように付いていかねばならぬ」

「それだけではない」

 江藤が口惜しげに言う。

「問題は国元だ」

 皆が顔を見交わす。

「われらは政府に職を得たが、国元では藩庁や県庁に職を得られればましな方で、仕事もなく収入の道も絶たれ、くすぶっている連中がたくさんいる」

 ここ数年、版籍奉還、廃藩置県、徴兵制議論、散髪脱刀令など、士族の神経を逆なでするような政策が相次ぎ、士族階級の不満は積もりに積もっていた。こうしたことから士族たちは徒党を組み、集会を開き、政府に対しての不満をぶちまけていた。それが最も盛んな地の一つが佐賀だった。

 島が話を引き取る。

「蝦夷地から帰ってきて、次の仕事の拝命があるまで間があったので、わしは帰郷してきた。すると待っていましたとばかりに若い連中が集まり、わしを取り囲むようにして議論を挑んでくる。今の佐賀は、まさに弾薬庫のようだ」

 副島が問う。

「島さんは、連中が反乱を起こすとでも言うのですか」

「それは分からん。だが誰かが鎮撫しないと、佐賀が生贄にされる恐れがある」

「生贄とは、どういうことですか」

 大木が箸を休めて問う。それには江藤が答えた。

「士族たちの鬱屈が各地で高まっている。おそらく大久保さんは、どこかを見せしめに討伐することで、御親兵の強さを見せつけ、残る地域を黙らせるつもりだろう」

 島の言葉に副島が首を左右に振る。

「そんな馬鹿なことを、大久保さんが考えるわけがありません」

「では聞くが、どうして御親兵に佐賀を加えなかったのだ」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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kash06 「久方ぶりに副島や大木の笑顔を目にし、さすがの大… https://t.co/xIH1n4C5WS 12日前 replyretweetfavorite