六
六月になると、いよいよ廃藩を視野に入れた動きが活発化してきた。そのためには政府も新体制で臨まねばならない。それゆえ大規模な組織改革が行われた。
この改革で参議は全員辞任し、西郷と木戸だけが参議に就任した。この時、大隈は大蔵大輔に再任されたが、その上の大蔵卿には大久保が就任し、大蔵省を掌握することになる。
これは大久保の意思というより、双方の融和を図って近代化を成し遂げようという伊藤の考えを反映した人事だった。すなわち大久保を大隈・伊藤・井上・渋沢(栄一)らが支えるという体制である。
六月には、新たな行政区分が県という名で呼ばれることになったので、廃藩置県という呼称が定着する。
四月から六月にかけて東京に参集した薩長土三藩の兵八千余は、御親兵と呼ばれ、不測の事態に備えることとなった。そして七月十四日、いよいよ廃藩置県が発布される。
西郷と御親兵の無言の圧力により、廃藩置県は混乱なく実行に移された。多くの藩主が県知事に横滑りとなったが、あくまで暫定的な措置なのは明白で、初めから辞退する藩主もいた。
この直前、大隈は木戸、西郷、板垣と共に参議に就任し、大蔵大輔の座を井上に譲った。この人事は薩長土肥四藩の出身者からバランスよく参議を出そうという三条と岩倉の意向を反映したものだった。かくして大隈は旧佐賀藩出身者唯一の参議となる。
滞りなく廃藩置県を成し遂げたのを見届けた大隈は、築地の屋敷を引き払い日比谷へと引っ越した。というのも大隈家の家族が新たに二人増えることになり、広いが武家屋敷然とした築地邸では不便なので、日比谷に洋風の屋敷を新築したからだ。
大隈が日比谷の新邸に帰ると、すでに新しい家族二人は、居間で綾子と歓談していた。
「まあ、八太郎、立派になって」
三井子の甲高い声が邸内に響く。
「母上、横浜までお迎えに行けず、すいませんでした」
「いいんですよ。お忙しいんですから。それより、ほら、熊子、挨拶なさい」
三井子の隣に緊張の面持ちで座っているのは、一人娘の熊子だった。
「しばらく見ぬ間に大きくなったな。いくつになった」
大隈が三井子と熊子に会うのは、明治元年の末に帰郷して以来なので、約二年半ぶりになる。
「数えで九つになります」
「そうか。早いものだな」
熊子は、佐賀の屋敷で走り回っていたのが嘘のように成長していた。
大隈が席に着くと、綾子が「それではお茶を淹れてきます」といって席を立った。
「八太郎、実はね——」
三井子が東京にやってきた経緯を説明する。
当初、大隈は三井子だけを東京に呼び寄せるつもりだった。だが熊子も東京に出たいと聞いて驚いた。熊子は母親の美登についていくと思ったからだ。ところが熊子は、母親が再婚すると聞き、三井子と共に佐賀の屋敷にとどまることにしたという。そこに大隈から、三井子を東京に呼び寄せたいという手紙が届いたのだ。
大隈が感心したように問う。
「それで、そなたも出てきたというわけか」
「は、はい」
熊子が緊張の面持ちで答える。
「しかし母と別れるのは辛かったろう」
熊子がうなずく。それを見た三井子が熊子の代わりに語る。
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