サクちゃんへ
こんにちは。
京都では真夏日が続いています。今日は38度だというので驚きです。
さて、サクちゃんの前回の日記を読んで、わたしたちは似ているようで正反対だなと思いました。交換日記をしていると、互いの違いが浮き彫りになって、より一層自分のことを知ることができますね。30年以上生きていますが、最近の自分再発見率の高さには目を見張ってしまいます。
サクちゃんは前回こんなことを書いていましたね。
「わたしは若い頃に恋愛をほとんどしていません」
わたしはその逆で、若い頃は恋愛をしていない時期がありませんでした。
前にも書いたけれど、恋愛体質なんだと思います。好きになるときはだいたいひとめぼれ。
思い込みももちろん激しく、ナチュラルにドリカムの「うれしい!たのしい!だいすき!」状態でした。
好きになる相手は、出会って一言二言話すとすぐにわかります。だから友達から恋愛に発展するということはほとんどありませんでした。
サクちゃんは、「相手のことをよく知らないのに、好きだと思い込む人がいるんだな」と思っていたそうですが、まさにわたしがそのうちのひとりです。
ただわたしの場合、「よく知らない」からこそ好きなんですね。
わたしにとっての「好き」は、「もっと知りたい」「もっと知ってほしい」と同義でした。
この人はどんな人なんだろう?
何を大事にして、何を蔑ろにしているんだろう?
何を好んで何を嫌い、どこが長所でどこが短所で、何に悩んでどんな答えを見つけてきたんだろう?
そういう問いがどんどん浮かぶということ自体が「恋をする」ということでした。
相手もそうであれば、こんなに嬉しいことはありません。
つまりわたしにとって「付き合う」ということは、互いに問い互いを知る、ということだったんです。
自分がインタビューという仕事をしているのも、おそらくこのような嗜好を強く持っているからだと思います。
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ではその嗜好はどこから来たのか。
サクちゃんが親御さんとの関係を見直し、「『自分が愛される存在であること』を、はやいうちに諦めていた」ことに気がついたように、わたしも自分の両親との関係が、これまでの恋愛遍歴に強く影響を及ぼしていると思います。
わたしの場合は、両親から愛されていると感じていました。
わりと遅くに生まれた一人娘だったのもあり、両親の仲は悪かったけれど、自分はふたりそれぞれから愛されていると感じていました。
以前の日記で、わたしは両親の不仲の理由として「貧乏」をあげましたね。
だけど実は、もっと大きな要因は「言語コミュニケーションの機能不全」だったように思います。
わたしの母は韓国人です。
30歳で日本にやってきて日本人の父と出会い、35歳でわたしを産みました。
母自身、実家と折り合いがつかず、なかば家を飛び出すように日本にやってきたので、日本語は当初まったくわからなかったと言います。
母は知り合いの焼肉屋さんで働きながら、独学で日本語を身につけていきました。その焼肉屋に客として来ていた溶接工(父)と結婚し、わたしが生まれたあと、母はより収入を得るために、ホステスの仕事を始めました。
ただ、ネイティヴで若い自分のほうが、日本語を身につけるスピードが早かったようです。
小学校にあがるころには、わたしは母の日本語能力を超えていました。その頃からよく母に「蘭の言うことは難しくてよくわからない」と言われるようになりました。
父は父で、話すのが苦手な人だったようです。加えて溶接の仕事で耳がずいぶん悪くなっていて、声がなかなか届きませんでした。補聴器も嫌がってつけないし。
そんな二人が頻繁に喧嘩するのは、手をあげたり物に当たったり声を荒げたりしないと、不満や怒りを互いに伝えることができなかったからだと思います。
わたしはその姿を見ながら、言葉で伝え合えたらいいのにな、と幼い頃から感じていました。言葉で伝え合えても喧嘩するのかもしれませんが、それでもいきなり物が飛び交うよりマシですよね。
一方でわたしの中にも、聞きたいことや話したいことが溜まっていきました。
今こんなことを疑問に思っていて、きのうこんなことを発見したんだ。
今これが好きで、こんなことで悩んでいて、こんなふうに思っているんだ。
そういう話がしたかったけれど、家族にはできなかった。「難しい」と言われてしまう、「聞こえない」と言われてしまうからです。
だからわたしは、家で誰かに話したくなったとき、ひとりで文章を書いていました。それが、わたしが文章を書くようになった始まりです。
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多分わたしはそのときの不足感を、恋人に求めていたのだと思います。
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