実務家の気持ちは実務家にしか分かりません」 |八面六臂(五)1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。


 二月、鹿児島から帰京した大久保は、薩長土三藩兵を御親兵として編成することを宣言する。いよいよ廃藩への動きが始まったのだ。

 それと同時並行的に政府の組織改革も行われた。これは太政官の権限を強化することで諸藩への統制を強化しようという大久保の考えを、江藤が具現化したものだった。

 それに対して木戸は、自らの派閥の根城と化している大蔵省の権限を強化し、窮乏する藩財政へ圧力を掛け、諸藩を統制下に置こうとしていた。

 かくして両派の対立は顕在化していく。


 大蔵省内の大隈の執務室は、人の出入りが激しい。それだけ大隈は実務にまで介入している証拠だが、大隈は権限の委譲を好まず、すべての決裁を自身の判断で行おうとしたからでもあった。

 三月のある日、ちょうど昼飯が終わり、多忙な大隈も一服している時だった。

 唐突にドアをノックする音が聞こえた。

「誰ですか」

「わしだ」

「わしって、まさか江藤さんですか」

「そうだ。今、いいか」

「もちろんです」

 大隈がドアを開けると、昔と変わらぬ蟹股で江藤が立っていた。

さすがに洋服姿の江藤だが、昔と変わらず髪はぼさぼさで、ところどころに白いものも交じってきている。

 —そうか、江藤さんもすでに三十代後半だからな。

 江藤は大隈より五つ年上なので、今年三十八歳になる。

「傷の方は、もういいんですか」

「ああ、まだ痛むが国家存亡の秋だ。いつまでも寝ているわけにもいくまい」

 明治三年(一八七〇)の十二月に卒族に襲撃された江藤は、約二カ月半の療養期間を経て政府に復帰した。

「さすが江藤さんだ」

 大隈は苦笑いを浮かべ、机を隔てて対面する椅子に案内した。

 江藤は復帰後、大久保から国家機構の改革を任され、「改革意見書」をまとめていた。その背景には主に太政官と大蔵省の職掌が不明確で、双方が都合のいいように解釈していたことがある。そこで江藤は職掌を整理し、大蔵省の権限を縮小する案を提出した。

 いわば大隈の権限拡大を押しとどめたのは、誰あろう江藤だった。しかも大隈を頼らずとも江藤を頼ればよいという考えを、大久保や岩倉に植え付けたのだ。

 そのため大隈は、江藤を間接的な大久保派と見なしていたが、江藤本人は政争を「くだらん」として、厳正中立を貫いていた。

「そなたは、相変わらず蒸気機関車のように突き進んでおるようだな」

「ご存じの通り、それしか取り柄がありませんからね」

「だが油断は禁物だ。そなたのことを幼い頃から知っているわれらなら許せても、薩摩の者たちは寛容ではないぞ」

 —そのことか。

 大久保とその与党が大隈の失脚を策しているのは知っているが、西郷と共に鹿児島から上京する薩摩人の中には、命まで取ろうとする者もいるだろう。

「分かっていますよ。江藤さんだって殺されかけたんだ。私だって危ない」

「今はまだしも、大西郷が政府入りするとなると、鹿児島から威勢のいいのが大挙して押し寄せてくる。そなたの命など、いくらあっても足らなくなるぞ」

 —それもそうだな。

 大隈は少し不安になった。

 だが大隈としては、江藤に対して弱いところを見せたくない。

「で、そのことを言いにいらしたんですか」

「それだけではない。いずれにせよ、雑談をしに来たわけではないことくらいは分かるだろう」

「ええ、まあ。で、どのような用件で—」

 遠回しな言い方を好まない江藤だが、この時ばかりは慎重だった。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません