ラブレター

歌手、女優、そして作家として独自のキャリアを重ねているCoccoさん。最新エッセイ集『東京ドリーム』(ミシマ社)発売に先駆けて、収録作品を先行公開。連載6回目は、琉球芝居の大スターだった祖父について。cakesではCoccoさんの独占インタビューも同時公開しています。あわせてお楽しみください。

 芝居を観るという行為はなかなかおもしろい。舞台上の“設定”を、演じる側も観る側も互いに甘んじて受け入れ、その“ごっこ遊び”に信憑性しんぴょうせいを見出し、感覚を再生させ、新しい“瞬間”を創っていく。

 たとえば一反の布を上手かみてから下手しもてに渡し、ゆらゆらと波打たせ、名もない川としたり運河としたり海原としたりする。または舞台に一筋の照明を差して水面にするもいい。ただの布を海と設定するも、ただの明かりを波打ち際と置き代えるも、それで全く問題のない世界なのだ。生きた赤ん坊を駆り出してくるまでもない。ただの砂袋であろうと、それは百姓の子にも神の子にもなりうるのだから。それがお芝居だ。そしてそれをしょっぱくするも上等にするも役者の腕にかかっている。役者冥利みょうりに尽きるとはこのことだろう。

 しかしどうしたことか、何から何まで与えられるばかりの哀れな世の中、人は度を 越えたリアリティーばかりを求めすぎる傾向にある。かつては動かないはずの車を想像で動かし、日が暮れるまでドライブできたはずなのに。ましてありもしない車を自分で創造して乗り回すことだってできたはずなのに、だ。

 極端なことを言えば、舞台に本当の雨を降らせる必要はないと私は考える。たとえただの暗幕あんまくをバックに立っていようと、篠つく雨に打たれているように見せるのが役者の仕事なんだもの。上手を北国、下手を南国として、離れ離れの境地を嘆く。そこに何マイルだの実距離を取る必要はない。それが舞台というものであり、演劇の醍醐味だいごみだと思うのだ。

 学芸会の感覚を忘れて芝居は語れまい。張りぼてや空想のドア、苦肉の策のあの手この手で真剣にごっこ遊びができる。許容して、目一杯想像して、ぶつかって溶けて、 沸き上がり押し寄せる拍手の波。

 真喜志康忠── まきしこうちゅうと読む。芝居に生涯を捧げた私の祖父の名だ。数え九歳で役者の世界に入った彼は、戦前から戦後の沖縄芝居の復興期、最盛期に活躍した沖縄芝居の第一人者といわれる。私の記憶の中でも祖父は沖縄の大スターであり、私のヒーローだった。しかし時代は移ろい、沖縄方言がすたれていくと、本当・・の沖縄芝居というものもみるみる衰退していった。賑やかな大通りの裏手で、それが最後の灯火をふうっと消してなくなってしまうまでを見届けたのか、真喜志康忠もそっと人生の幕を降ろした。

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東京ドリーム

Cocco

歌手、女優、そして作家として独自のキャリアを重ねているCoccoさん。最新エッセイ集『東京ドリーム』(ミシマ社)発売に先駆けて、収録作品を先行公開。歌を歌うこと、子供を育てること、人を愛すること、日々生活を営むこと、東京という街で働く...もっと読む

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コメント

t_take_uchi これを読め! 約5年前 replyretweetfavorite

nkg_13 こっこさんの演じることを生きたおじいさまへの愛の文。切々と沁みます。 約5年前 replyretweetfavorite