20歳までは生きていないだろうと思っていた。けれど、結局その年齢を過ぎても死ななかった。
幼少期に性被害に遭い、親から適切な愛情を受けず、家族仲も悪い。そんな環境で育った私は、自分は誰からも必要とされていないという考えに囚われていて、希死念慮がずっとあった。
大学を卒業して何もかも自分で選んで決めなければならなくなった時、やりたいことやできることがわからないことに気づく。社会の輪に入れず、定義された”正しい生き方”に馴染めない自分は、死ぬべきなんだと感じ、強い虚無感を抱えていた。
ある日、よく利用していた音楽系のSNSで、音楽の趣味が近いユーザーから英語のメッセージが届いた。彼は日本文化やアニメに興味があるというフランス人で、英語があまり出来なかった私は、翻訳機を使った下手くそな英語でやりとりをはじめた。私達はほとんど毎日、音楽やゲーム、アニメ、それぞれの文化などの他愛のない話をしていた。
知らない国の知らない土地に住む人と、馴染みのない言語でするやりとりは、面白くて、だけど、ふわふわとどこか現実味がなく、心地よい。だから、海へ行くと決めた日に、「これから海へ行って死のうと思っているよ。」というメッセージも平気で送れた。けれど彼は泣きながら「死なないでほしい」とボイスメッセージを送ってきたのだ。
それを聞いた時、私の現実に彼が入ってきた。
彼もまた、社会に馴染めず、過去に痛みを抱えていて、私達は似たような仲間だと思った。
送られてきた写真には、色あせて穴の空いたTシャツを着て微笑んでいる、飾ることも隠すこともしていない、そのままの彼が写っていて、その素朴さが、なんだかよかった。
私達は実際に会うようになり、日仏間を行き来した。ワーキングホリデービザでフランスに滞在中、そのビザが切れるときに、彼は婚姻関係を結ぼうと提案した。「協力し合い共に生きていく為に結婚する」という明確な意思はなくて、ただ離れがたかったから、という理由で。
それが愛なのかよくわからなかったし、結婚とはなんなのか?共に生きるということすらよくわからなかったけれど、断る理由がなかったから、その提案を受け入れた。意思も目的も覚悟もなく。そうしてフランスに移住することになった。
私が私であるとはどういうことだろう
強い意思や情熱を持ってやりたいことがあって、そのための仕事をして、人に認められて、愛する家族がいて、愛されていて、信頼し合える仲間や友人がたくさんいる、それが社会人として正しいのだと、そしてその「正しさ」が一切ない自分にずっと劣等感を持っていた。
自分がどうなりたいのかがわからず、自分の意思で何かを決めるのが苦手だから、差し出された選択肢に断る理由がなければ、引き受ける。私は、状況に流されてなんの準備もなく無計画にフランスに来て、自分の全てを相手に押し付けてしまったのではないか。そうずっと思っていた。自分の意思での「選択」ではないその行動が、とても良くないのではないか、と罪悪感のような、後ろめたさのようなものを感じながら。
フランスでの生活が始まったとき、どうすればよいのか判らず、私は無意識に「妻らしく」振舞おうとしていた。それを不気味だと指摘され、ハッとした。彼は私の振舞いが見せかけであるのを見抜いていたのだ。「イメージ」や「正しさ」は社会や親に押し付けられた幻想だと気づき、自分の行動をとても恥じた。こうあるべき正しさなどなく、「あなたがあなたであるというのが大切なのだ」と教わった。彼は「自分である」ということを一番大切にしていたのだ。
けれども、私が私であるとはどういうことだろう。だって、私は私であってはいけないと、ずっと思い込んでいたのだから。
生きるための実験
私が住むことになった土地は、自然がとても近い。家を出て数分歩けば川があり、さらに自転車を30分走らせれば大きな森がある。秋になって彼がきのこ狩りに行こうと誘ってくれて、初めてきのこ狩りを体験する。森で感じた緑の濃い空気、野生動物の気配、さまざまな色や形をしたきのこ、すべてが面白く、心が躍った。そんな態度をみていた彼は私に言った。「あなたは本当に森やきのこが好きなんだね」と。
そうか、私は森を歩いたり、きのこを見つけたりするのが本当に楽しいし、好きなんだ!と他者の目を通じて自分を知った。自然が暮らしの近くにあることは心地よくて、好奇心の赴くまま、春にやわらかな野草を食べたり、山を無心で登った。そんな日々のなかで私は自分を発見していった。
本当の豊かさとは何かという問を持ち、森に小さな小屋を建てて自給自足的な生活を実践したソローの著書にこんな一文がある。
(『ウォールデン森の生活』ヘンリー・D・ソロー 著 今泉吉晴 訳)
そう、これは私だけの実験なんだ。こうあるべき生き方なんてなくて、私が私であるための。この土地に来たのも、「生きるための実験」だ。この道の先に何があって、何を発見して、何を感じるか、知りたかったからだ。
自分らしく生きるとは何だろう? 自分が感じる本当の豊かさとは?
見つけられるだろうか、その答えをこの土地で。
窓をひらくと、しっとりとした空気が皮膚を撫でる。夜明け前の青い景色の中、クロウタドリの声がどこかであかるく響いていた。
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