大学生活のすべてを決めた駒場寮
ライブドア、そして堀江貴文の名前が大きく報道されるようになったのは、2004年のことだ。当時大阪に本拠地を置いていたプロ野球球団、近鉄バファローズの買収に名乗りを上げたとき、ほとんどの人は僕のことを知らなかった。まだ「ホリエモン」の愛称が生まれる以前の話である。
好意的に取り上げてくれるメディアは、僕のことを「東大出身の若手ベンチャー経営者」だと紹介した。当時の年齢が32歳。新進気鋭のベンチャー経営者で、しかも東大を出たエリートなのだ、という意味合いだ。東大のブランド力を最大限に活用したプロフィールだが、ここにはちょっとした言葉のマジックがある。
僕は「東大出身」ではあっても、「東大卒」ではない。つまり、あんなに勉強して入った東大に見切りをつけ、中退する道を選んだのだ。
1991年の春、僕は東京大学に入学した。
東大では、1~2年生の全員が教養学部前期課程に属し、東京都目黒区の駒場キャンパスに通うことになる。銀杏並木の印象的な、落ち着いた雰囲気のキャンパスだ。
「ここから新しい人生がはじまるんだ」
入学当時の僕は、大きな期待に胸を膨らませていた。
3年次に理転するには、ここでそれなりの成績を残しておかなければならない。なんといっても日本一の最高学府に入ったのだ。勉強もしっかりやっていこう。
そして悪夢のような男子校生活に別れを告げ、大勢の女の子たちと夢のキャンパスライフを送ることになる。もちろん彼女だってつくらなきゃいけないし、合コンからサークル活動まで、大いに青春を謳歌しよう。地理的にいっても駒場は渋谷からもほど近く、いろんな刺激を得られそうだ。これからどんな物語がはじまるのか、考えただけでもゾクゾクしてくる。
東京での住み処に選んだのは、キャンパス内にある駒場寮。
いまはもう取り壊されてしまったが、戦前の旧制一高時代からの伝統を受け継ぐ、三階建ての学生自治寮である。振り返って考えると、僕にとっての「東大」は、ほとんどこの駒場寮に集約されるような気がする。
周辺を大きな木々に囲まれ、外壁が太い蔦に覆われた駒場寮。僕が入寮した当時でさえ築50年以上という、かなり古い建物だった。お世辞にも管理が行き届いているとは言い難く、寮生以外はほとんど寄りつこうとしない。さながらキャンパス内に取り残された廃墟のような、一種異様な雰囲気を漂わせていた。
駒場寮は、相部屋による共同生活が原則である。部屋ごとに寮生の個性も豊かで、どんな部屋に入るかによって、その後の学生生活にも大きな影響が出てくる。そして幸か不幸か、僕は駒場寮の中でもかなり変わった部屋に入寮することになる。
部屋の真ん中に雀卓が鎮座する、「麻雀部屋」だ。