​次郎長、やくざになる

【第13話】
古典作品をボーイズラブ化した大好評シリーズ『BL古典セレクション』待望の新連載!「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』を、作家・町田康が自身初のBL作品として、圧倒的な鮮やかさをもって現代に蘇らせる。月一回更新。

 天保十二年、その年は梅雨明けが遅く、天候不順、六月の末まで雨が続き、日照不足で稲の生育は芳しくなく、次郎長はなにかと忙しい日を送っていた。

 次郎長は二十一歳の青年になっていた

 年は二十一。美しい妻。米問屋の主で商売は順調。子宝にこそまだ恵まれないが人から見れば羨ましい人生を送っているはずの次郎長であったが、その心はどこか充たされなかった。

 心の奥底にやりきれないなにかがあり、ときにそれが疼き、暴れ出した。

 そんなとき次郎長は訳もなく暴れ回り、相手構わず暴力を揮いたいような気持ちになった。そう、かつて手が付けられない悪童であったときのように。

 しかしもはや大人になり、甲田屋の主となった次郎長が昔と同じように、向こうから歩いてくる人を、えいっ、ポカリ、という訳にはいかない。

 そこで次郎長はその衝動を宥めるために酒を飲んだ。

 或いは角力、相撲。回しを締め、いずれ劣らぬ力自慢の奴らを投げ飛ばし、嫌というほど土俵の土を食わせ、ときには腕の一本もへし折って些かの快を得た。

 また、賭博。賽の目の思うように転がる瞬間にすべてを駆け、すべてを忘れようとした。  木剣を振り回して立木を滅多打ちにするなんてこともした。

 しかしその時はスカッとしても時が経ち、気がつくと黒雲のようなものが心を覆っている。それを振り払うように次郎長は相場を睨み、船の差配をし、米を買い付け、また売り、日を暮らしていた。

 そして天保十二年八月の二十七日。その日は朝から肌寒く、急に秋が深まったように感ぜられた。それに呼応するように米の価格が急騰したが次郎長の読みにより春先から手を打っていた甲田屋が大きな利益を得るのは間違いがない。

「また儲かりそうでございます」

 番頭がそう言うのを聞いた次郎長は、

「そりゃけっこうじゃないか」

 と言いながら、ふと、「自分はこれから毎年、毎年、こんなことを繰り返し、長い一生を終えるのか」と思い遣りきれぬ気持ちになった。

 そして、その日の夜。甲田屋に賊が入った。

 刀を帯びた賊は全部で四人。甲田屋の倉に侵入したのである。といって強盗ではなく、夜陰に乗じて窃かに金品を奪い去ろうとした。

 しかし。どうやらあまり上手な強盗ではなかったようで、倉の頑丈な鍵を毀すのに手こずり、しまいには、ぐわんぐわん、と音を立てたものだから、店の者は気がつかず眠っていたが神経の鋭敏な次郎長はすぐに気がついた。

 普通ならこういうときどうするだろうか。

「ドロボー」

 と叫んで、店の者を起こし、お役人に知らせる、なんてことをするのが普通だろう。しかし腕に覚えがある次郎長は、下手に騒げば狼狽えたぬすっとが店の者に斬ってかかるかもしれない。そんなことで店の者が怪我をしたり生まれもつかぬ不具になるなどしたら可哀想、ならば、たかが知れたコソ泥のこと、俺、一人でふん捕まえて、痛い目に遭わせてやろう、と考え、寝床から這い出すと、刀を摑み、そっと障子を開けて縁先に出た。

 月が庭を照らしている。耳を澄ますと、左手の倉の方からヒソヒソ声、そのさらに奥を見ると裏木戸が開け放してあって、その向こうに梯子が見える。

 彼処から入りゃがったか。

 そう思いつつ、次郎長、悠然と歩いていくと、頬被りをして顔を隠した男が四人、蔵の前に蹲っている。次郎長は足音を立てないように近づいていき、ほんの近くまで行って出し抜けに声を掛けた。

「てめぇたち、なにをしてる」

 急に声を掛けられて驚いたのは賊の方で、

「あっ」

 と声をあげると、手向かいもしない、慌てふためいて裏木戸の方に駆けだした。

 次郎長は、倉の錠前が壊されていないのを確かめて、初めて、

「ぬすっと、待ちゃあがれっ」

 と喝叫してこれを追った。

 闇路を四人の男が逃げていく。次郎長は罵りながらこれを追う。何事かと起き出して灯りを灯して戸を開けて覗く家があるかと思うと、関わり合いになるな、と戸を固く鎖す家もある。此の世にはいろんな人がいる。いろんな家がある。

 賊は死に物狂いで逃げていく。次郎長はこれをひたに追う。犬が吠える。

 町外れまで追いかけた次郎長は賊の一人にようやっと追いついてその襟首を摑んで、引き倒そうとした。引き倒されまいとする賊は脇差しを抜くと振り返りざま、これを横薙ぎに薙いだ。

 危ないっ、と思った次郎長、襟首に駆けた手を放して退ったが一瞬、遅かった、手の甲がざっくり斬れて血が噴き出す。

 けれども不思議と痛みは感じない。

「やりゃあがったな」

 と喝叫、刀を抜いて斬ってかかる。その勢いに押されて賊は忽ち受け太刀になる、チャリンチャリンチャリン、とやっているところへ、先へ逃げていた残りの三人が戻ってきて、

「さっきゃあ、暗がりで出し抜けに声を掛けられて驚いて逃げたが、見りゃあ、相手はたった一人。向こうは一人でこっちは四人。負けるわけがねぇ。やっちまおう」

「おう」

 と言うなり脇差しを抜いて斬りかかってきた。

「望むところだ、こいっ」

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BL古典セレクション 東海遊侠伝 次郎長一代記

町田康

古典作品をボーイズラブ化した大好評シリーズ『BL古典セレクション』待望の新連載!「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』を、作家・町田康が自身初のBL作品として...もっと読む

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