情報は自らつかみ取るもの
こうやって両親の話をしていくと、多くの人が首を傾げる。
うちの両親は、二人とも平凡な高校を卒業した、ごくごく一般的な人たちだ。経済的な事情などはあったのかもしれないが、大学も出ていないし、サラリーマンとしての父は支店勤務の課長どまりだった。自分の親を悪く言うつもりはないけれど、どうひいき目に見積もっても「普通」の人たちである。
どうしてそんな両親のもとで、僕のような人間が育ったのだろう?
……こればかりは、よくわからない。遺伝だとは思えないし、なにかしらの英才教育を受けた覚えもない。むしろ僕の置かれた環境は、最悪に近かった。
地理的な状況から説明しよう。
僕の生まれた八女市は、お茶と仏壇、提灯などの特産品で知られる山間部の町である。住人のほとんどが一次産業に従事しており、うちのようなサラリーマン家庭のほうが珍しい。当時は住宅もまばらで、友達の家まで遊びに行くにも、歩いて30分は覚悟しなければならなかった。文化の香りなどあるはずもなく、ただただ肥料の匂いが漂う町だ。
文化が欠落していたのは、八女の町だけではない。堀江家もまた、文化や教養といった言葉とは無縁の家庭だった。
たとえば、うちの父は「本」と名のつくものをほとんど読まない。家に書斎がないのはもちろん、まともな本棚もなければ、蔵書さえない。テレビがあれば満足、巨人が勝てば大満足、という人である。
そんな堀江家にあって、唯一読みごたえのある本といえば、百科事典だった。
当時は百科事典の訪問販売が盛んで、日本国中の家庭に読まれもしない百科事典が揃えられていた。きっと、百科事典を全巻並べておくことが小さなステータスシンボルだったのだろう。わが堀江家も、その例外ではなかったわけだ。
そこで小学校時代、僕はひたすら百科事典を読みふけった。
事典として、気になる項目を拾い読みしていくのではない。第一巻、つまり「あ行」の1ページ目から、最終巻「わ行」の巻末まで、ひとつの読みものとして通読していくのだ。感覚的には読書するというより、情報から情報へとネットサーフィンしているオタク少年に近いだろう。
リニアモーターカー、コンピュータ、そしてアポロ宇宙船や銀河系。百科事典には誇張も脚色もない。映画や漫画で見てきたような話が、淡々とした論理の言葉で紹介されている。星の名前も国の名前も、遠い昔の国王も、すべて百科事典で覚えた。ページをめくるたびに新たな発見があり、知的好奇心が刺激されていった。インターネットも携帯電話もない時代。僕にとっての百科事典は、社会に開かれた扉だったのだ。