サクちゃんへ
こんにちは。
京都はものすごい暑さです。
わたしは「夏」という概念は好きですが、暑さは大の苦手です。同様に「京都」という概念も好きですが、盆地特有の湿気も苦手。京都の夏はほんとにサウナです。
それでもここに住みたいと思える魅力がこの街にはあるんだよなあと、毎年うんざりしながらも惚れ直しています。
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前回のサクちゃんの日記、ものすごく刺さりました。
「したいけどできないこと、ほしいけど手に入らないものは、自分が怖れているから」
この代表的な例として、サクちゃんは「お金」と「親密な関係性」をあげていましたね。
自分にもすごく心当たりがあるなあ、と思いました。
サクちゃんの文章を読んで、思い出したことがあります。
それは、中学生からの自分の座右の銘が「命短し恋せよ乙女」だったことです。
この頃の自分の考え方として、「自分には失うものもないし、明日死ぬかもしれないのだから、好きなように生きればいい」というのが根本にありました。
この考え方は割と長くあり、20代半ばまで本気でそう思っていたように思います。
だいぶ刹那的だったんでしょうね。
悪い考え方ではないと思うのですが、ここ数年でようやく「ああ、わたしは積み上げることからずっと逃げていたんだな」ということに気づきました。
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「自分には失うものもないし、明日死ぬかもしれないのだから、好きなように生きればいい」
わたしがそう思うようになった大きな原因として、両親の仲が悪かったこと、実家が貧乏だったことが挙げられるのではと思います。貧乏だったことが、夫婦仲をより険悪にさせてもいました。
両親の関係もお金も、子供にとっては生活の基盤です。その部分が常に不安定だったので、わたしはいつも不安でした。しかも一人っ子だったので、その不安を共有する相手がいなかったのも、結構しんどかったです。
小学生だったある日、両親がもう何度目かわからない派手な喧嘩をして、家出を試みたことがあります。
近所に子供のいない老夫婦がいたのですが、彼らはわたしをとても可愛がってくれていたので、その足でおうちへ行って「このうちの養子にしてくれ」と頼み込みました。お手伝いもするし、勉強も頑張るからと。この人たちの自慢の娘になることができれば、養子にしてくれるのではと本気で思っていたんです。
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