山田ズーニーの一対一力
他ならぬ自分が動かなきゃ、という気持ちにさせられる。
心構え的な話になっちゃうんですが。
書くという行為の先には、絶対に「読み手」がいるはずなんです。
メールやSNSやブログはもちろん、日記だって、メモ書きだって、未来の自分に向けているわけだし。書いては消すホワイトボードですら、書いていくと同時に誰かが読んでいる。
読者のいない文章なんてない。
それなのに、なぜか文章を書いていると、読む人の顔が見えなくなっている時があるんですよね。
不思議と忘れちゃうんです。書いていくうちにだんだん、相手が“読者”と呼ばれる集団ではなくて、“一人ひとりの個人”であるという事実を。
書いているのは「自分ひとり」です。二人で文章を書くなんて(実質的には)ありえない。
もちろん共作や編集というスタイルはありますが、書いている時は基本的に自分ひとり。
同様に、その文章を読んでいるのも、どこかの「だれかひとり」。
二人で読むことはできません。
二人いっぺんに目を通すことがあっても、「読む」という行為自体はひとりでしかできない。
たとえその文章が一億人に読まれたとしても、読む人は「ひとり」 の状態で読んでいる。
文章とは「自分ひとり」と、「だれかひとり」をつなげる作業です。
でも主体を誰にするかは、選ぶことができます。
主体には「私・僕(一人称)」「私たち・僕たち(一人称複数)」「あなた・君(二人称)」「みなさん(二人称複数)」「彼・彼女・〇〇さん(三人称)」が存在しますが、作家であり、文章インストラクターでもある山田ズーニーさんは、この文章において「あなた」という二人称を効果的に使っています。
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