ユダヤ系の人たちにはもともと興味があった。僕が高校時代に出会い、アメリカ文学にのめり込むきっかけになったJ・D・サリンジャーだって父親はユダヤ系だし、大学に入って読み始めたマルクスもレヴィ=ストロースもベンヤミンも、思想家や学者の多くはユダヤ系だった。
そのうちユダヤ教やユダヤ系の文化にも惹かれて、ラビ・トケイヤーのユダヤジョーク集なんかを読みまくった。ユダヤ教のラビがかましてくる頓知の効いた、というかアメリカンジョークのもとみたいな、日本人の感覚では少々不可解なボケにしびれた。
レヴィナスの、他者には顔があり、その顔を前にして人は相手を殺せなくなる、という倫理学も良かった。理屈じゃないんだけど、感覚としてはよくわかる。これがホロコーストを通過した現代の思考のあり方なのか。
そしてフランクルの『夜と霧』を読み、アラン・レネによる映画版も見た。ユダヤ人600万人がナチスに、しかも20世紀にもなって虐殺された。このことの重さと悲しさがたまらない説得力とともに伝わってきた。
なぜこんなにも迫害されるのか
僕の中で素朴な疑問が育っていった。そもそも、ユダヤ系の人々は常にヨーロッパ文化の中心にいるのに、どうしてこんなにも迫害されければならないのか。マルクスの『ユダヤ人問題について』を読んでも、サルトルの『ユダヤ人』を読んでも全然わからなかった。
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