大阪へやってきた
30代半ばまでを過ごした東京を離れ、私が大阪へ引っ越してきたのは5年ほど前のこと。東京では仕事のまったくできない給料泥棒として同僚たちにからかわれつつも、なんとかギリギリのところで会社勤めを続けていたが、とうとう限界を感じて環境を変えることに決め、妻の出身地である大阪へやってきた。
フリーライターと名乗るだけ名乗ってみたものの、月に1本の原稿が書ける書けないかという程度の仕事しかなく、家で怠惰に過ごすか、たまに気合を入れてようやく外に出たところで、近所を散策して帰ってくるだけ、というような日々が続いた。
そんな中、“割と暇な本屋の店番”という、私にとってうってつけの仕事をくれたのが「シカク」という変わった名前の店だった。現在は大阪市此花区の西九条近くに移転したシカクだが、当時は北区の中津という場所に店舗を構えていた。
物好きな人々が自腹を切って少量の部数だけ作る「自費出版本」ばかりを専門に扱う店で、「中津商店街」という、古びた小さな商店街の一画にあり、外観からして一見さんを寄せ付けないような異彩を放っているように見えた。
そんな店だから、一部の好事家だけに熱狂的に愛されはするものの、普段はあまりお客さんが来ず、店長と副店長とのんびり会話しながら時間を過ごしていればだいたいそれだけでよかった。時給は驚くほどの安さだったが、それまで無駄に過ごしていた時間が、数百円にせよ、お金に変わるというのはありがたいことだった。
静かな中津の町に佇む居酒屋
そのシカクがある中津というエリアは、買い物客でいつも賑わう阪急梅田駅あたりから徒歩10分ちょっとという距離である。隣町と言ってもいいぐらいの近さなのだが、しかし、梅田あたりとは雰囲気がガラッと変わり、静かな町並みとなる。地下鉄の中津駅前の通り沿いだけはお店も多いが、そこを離れると路地の入り組む住宅街だ。
シカクで仕事をすることがなければ、そして店長と副店長に案内してもらわなければ、私はずっと中津に魅力的な居酒屋があることを知らずに過ごしていたと思う。「大阪はなび」も「大衆酒場いこい」も、その二人に連れて行ってもらった店だ。
「大阪はなび」は、貨物線用の線路沿いにある店で、夏は軒先にまでテーブルが出され、冬は透明のビニールカーテンで外と仕切られていて、つまり、どの季節でも明るい店内の様子が外まで丸見えだ。大量の提灯が吊り下げられ、静かな中津の夜を煌々と照らしている。
もともとガレージだった空間を店主が自力で居酒屋へと作り替えたそうで、隅々まで手作りの勢いと派手派手しさで満ち溢れている。お祭りの居酒屋屋台のような雰囲気だ。店内には立ち飲みカウンターとテーブル席が用意され、サッと飲んで帰る客は立ち飲み席へ、仕事帰りのグループ客はテーブル席へ、と用途によって使い分けられている。ちなみにテーブル席で使われる座席はビールケースを2つ重ねただけのものである。
どこを見ても何かが主張してくる「大阪はなび」
壁にはびっしりとつまみのメニューが貼られ、天井からスナック菓子の袋がぶら下がっていたりして、どこに視線を移しても何かが主張してくるような、このゴチャゴチャ感がたまらない。料理はどれも安くてボリューム十分。店主のお母さんが手作りしているという「ポテトサラダ」は、いつ頼んでも「こんなに?」と驚くほどの量。たまに実家に帰るといつも自分が食べたい量以上に強引に盛り付けてくる母親を思い出す。
「鳥せせり塩焼き」は、オーダーが入ると店主が網で焼くその煙がもうもうと店内を漂い、他の客がそれにつられて同じものを注文したりする。味はもちろん、発生する煙の量という点でもこの店の名物なのである。また、ドリンク類は品揃えが豊富で、大阪ではなかなか置いている店のないホッピーもメニューにあり、東京でホッピーを愛飲してきた私にとってはそれも嬉しかった。
引っ越してきた当初、大阪では土地勘もなく、知り合いもほとんどいなかった私にとって、この店でシカクの二人と過ごすガヤガヤした時間は、心細い自分を勇気づけてくれるようなものに感じられた
その後、週刊誌の中の1ページで関西の居酒屋を紹介する仕事を得た私は、「大阪はなび」を取材させてもらうことにした。そこで、店主がその昔、大阪市の中央卸売市場で働いていたこと、それゆえに仕入れの目が確かなこと、店名は、毎年夏に開催されて見物客でごった返す淀川の花火大会の花火のように、老若男女あらゆる人から求められるような店にしたいという願いを込めてつけられたものであることなどを聞いた。
オープン当初はシャッターも無く、開店時間の少し前に店主が店に着くとすでに店内で客が酒を飲んでいることもあったという。店主の語るエピソードはどれも豪快で面白く、そんな話を聞きながら「ああ、自分は今、大阪の居酒屋を取材しているんだな」という実感がひしひしとわき起こってくるのであった。
その後、私の取材原稿が載った週刊誌を店に届けたのだが、その週刊誌がお色気記事やヤクザ関連情報が誌面の大半を占めるようなまさに「大衆誌」といった雰囲気の雑誌だったため、それ以降、店に行くと「おう、久しぶりやな、エロ本!」と、そんな名で呼ばれるようになった。しかし、まだまだ手ごたえのつかめない土地である大阪の町に、店主に「エロ本!」と呼ばれることで、ほんの少しだけ近づけたような、妙な喜びを感じたものだ。
阪急中津駅と一体化した「大衆酒場いこい」
もう一軒、中津で大好きな居酒屋が「大衆酒場いこい」だ。阪急電車の高架下にある創業60年以上になる店。阪急中津駅の改札を出て階段を降りたらすぐ右手に入口があって、もはや駅と一体化しているとも言えそうなほどである。
店の敷地は思いのほか広く、店の左側にはカウンター席、正面奥にはグループ客向けのテーブル席がいくつも並ぶ。
「ここの肉じゃががすごいんですよ!」とシカクの二人に教えてもらったその「肉じゃが」は、大きな平皿にたっぷり盛り付けられ、真ん中に半熟玉子が乗っている。頭の中に思い浮かべていた“家庭の味”的な肉じゃが像をくつがえすようなものである。すき焼き風の味付けで甘みが強い。ゴロゴロしたジャガイモをほうばり、生ビールをゴクゴク飲む。店の上の線路を電車が通っていく低い音と振動。この店で浴びる空気も、私にとって、初めて出会う生活感にあふれた大阪の空気として体の奥深くに入り込んでいった。
この店を象徴するものとして、書かずにはいられないのがトイレだ。こんなに雑然としたトイレを私はあまり見たことがない。店の奥、薄暗い物置のようなスペースを、積まれた色々な物にぶつからぬように気をつけつつ奥に進んだ先にようやくトイレがある。ちょっとした探検感覚である。
小用を足していると、小窓から店の外を歩いていく人の足元が見える。半地下の小窓から眺める風景もまた、私がここで初めて味わった大阪だった。ちなみに、このような店の構造的な都合上、女性客は一旦外に出て駅のトイレを使うことになっている。そのような連携を駅が認めているというところもまた、なんともこの店らしくて好きだ。
トイレの話を挟んだ後で申し訳ないが、「肉じゃが」以外にも名物料理は数多い。ガーリックチップが乗った「すじ焼き」は、厚みがあって柔らかく、ステーキを食べているかのような贅沢な気分が味わえる。また、ある時、常連客らしき方が食べているのを見て驚いたのが「中華そば」だ。壁と同化したような色合いの木札のメニューをよく見ないと気づかないのだが、確かにこの店では、丼ものやうどん類、中華そばなども提供されているのだ。そして、その中華そばは、野菜が山のように盛り付けられたやけに食べごたえのあるもので、軽い気持ちで締めに注文するとうろたえることになるだろう。人なつっこい味わいで、私はこれが大好きである。
この「大衆酒場いこい」も、前述の週刊誌の原稿を書くために取材させてもらったことがある。原稿ができた時点でお店に事前の確認をお願いしに行った時のこと、店主がじっと私の原稿に目を落とし、その返事を緊張して待った。しばらく間があって、「おう、まあまあよう書けとるわ!はい、これで頼むわ」と店主が言い、心底ホッとした。「ありがとうございました!また改めて連絡します!」と告げて店を出ようとしたところ、「がんばれよ!」と店主が言う。「ありがとうございます!頑張ります!」と私が返すと、「ちゃうで!頑張れよー言われたら、『お前も頑張れよー!』やろ!」と店主。
「がんばれよ!」に対する「お前もがんばれよ!」。ジミー大西の往年のギャグである。まさかその前振りだったなんて、思いもよらなかった。ちょっとコワモテの店主の言葉に即座にギャグで返せるように、私はいつかなれるんだろうか。この店主とのやり取りも、「ああ、これが大阪なのか!」という気持ちを鮮烈に味わった場面として、ずっと忘れられないでいる。
シカクの店舗が中津にあった頃は仕事帰りにどちらかの店によく寄り道したものだったが、その後、お店が移転となり、それにともなって中津に足を運ぶ機会も減ってしまった。そんな今でも、たまに梅田から足を伸ばして飲みに行ってみる。
すると、当たり前のことだが、「はなび」も「いこい」も、あの頃のままの活気で存在していて、そこでお酒を飲むたびに、私は大阪に来たばかり頃の気持ちを思い出す。そして、自分と大阪の関わりあいのスタート地点のようなものとして大事に思っている二つの店が、賑やかにいつまでも営業していてくれることを祈りたくなるのだった。
(毎週水曜・土曜更新)
大阪はなび
大阪府大阪市北区中津1-18-7
営業時間/月~金17:00~2:00 、土日祝17:00~24:00
定休日/無休
大衆酒場いこい
大阪府大阪市北区中津3-1-30
営業時間/17:00~24:00
定休日/日曜日、祝日