家事の究極の形
有賀 「料理がイヤだ」と感じている人の多くは、料理をつくることが義務になって、苦痛が始まるみたいなんです。自分はパンでもかじっておけばいいけれど、家族がお腹を空かせているから、何かをつくらないといけないって。そう思うのは仕方がないかな……とも感じますね。
坂口 僕にもそういう相談、けっこう来ますよ。「なんでそんなに料理を楽しいと思えるの?」とか、「主婦は結構疲れているんだよ」とか言う人、多いですね。
有賀 どんなふうに答えるんですか?
坂口 「えっ、料理むっちゃ楽しくないですか?」って(笑)。でもそれだけだと進まないのもわかるから、「私も楽しみたい」と言う人には、「料理日記を作って、それを僕に見せてよ!」と提案しましたね。
「料理をつくっても、旦那はノーリアクションだし」なんて言うから、「ノーリアクションな人なんて無視していいです。料理日記のリアクションを頼りに生きていきましょうよ!」って。
みんな、ノーリアクションに合わせるからダメなの。そういう人には、ノーリアクション用のご飯を作ればいいだけなの!
有賀 た、たしかに〜!(笑) 自分の料理に関心を持っていない人に食べさせてばかりだと、自分の味に対しても自信を失っていってしまいますよね。
坂口 そんな人には、僕は器からして適当なのに注ぎますよ。それでもうまいって言ってくれるなら、テキトーな感じでいいと思っていて。
有賀 なるほど。
坂口 でも、使っているスパイスにも興味を持つような人なら、器も気持ちの良いものを使う。
有賀 「このオイルの産地は?」なんて聞いてくれる人には、とっておきのやつを。
坂口 そしたら、ワインでも飲みながらオイルやスパイスの話をしますし。僕は同じ食卓であっても、食べる人に合わせて別々につくったりもしますね。それは、食べる人それぞれが喜ぶものを出しているわけで、差別ではないんです。
有賀 えー、すごい!「何をしたら、その人が満たされるか」を考えているということですね。
坂口 そうですね。だから僕は、子どもの対応もそれぞれで全然違います。「不公平でおかしい」と言われることもあるけれど、「その人に合っているのか」を突き詰めていきたいから。
有賀 これは料理も含めて家事全般についても言えることですね。家事って何かなって思った時に、その人を見て、望んでいるものを差し出すというのが、家事の究極の形かなって思うんです。私はケアという言葉を最近よく使っているんですけど。
ものすごくお腹が空いている時に、「はい、あんぱん」って差し出してくれたら嬉しいですよね。そんなときに、1時間もかけてフルコースをつくられたら……。
坂口 あんぱんのほうが欲しいですね(笑)。
有賀 そうでしょう? 料理を誰かに提供するときって、その気持ちの汲み取りが圧倒的な差として体験に表れるんですよね。料理屋さんで「どうだ!俺の料理は!」と出てくるものも、それはそれで美味しい。けれど、何も言わずともスッと出てきた一皿が「今これが食べたかった!」と思えるものだったら、私は「この料理人は天才だな」って思う。
家庭料理は、食べる人とつくる人の関係性も近いから、意外とこのコミュニケーションともいえるやり取りが成立しやすいんですよね。家族が玄関のドアを開けたときの姿でも、昨日との違いを感じたりする。相手をよく見ていれば、何が欲しいのかも分かる気がする。それで、今日はいつもより丁寧な料理にしてみると、向こうは向こうでこちらの気遣いにすこし気づいたり。
そういうコミュニケーションも、実は料理の中に隠されているんですね。
坂口 僕の場合は、誰かを観察して料理をつくってあげるタイプではないんですけど、場の真ん中にいて、全体に対してコミュニケーションしている感覚はあるかも。その場を作る意識が強いのかな。
そういう意味では、音楽ともリンクしていくんですよね。歌い手とそれを聴く人とでひとつの場ができるじゃないですか。
有賀 料理を面白くするためにも、「空間ごと料理する」といった感覚を持っているといいのかもしれないですね。今はそれが切り離されていて、料理は料理として、レシピをそのままなぞるだけになってしまっていたり。そうすると、料理も義務化したり、嫌々やったりするものになるだろうから。
つくりたくないときには、宣言してしまおう
坂口 そもそも、料理を嫌々しない方法を考えたいですよね。嫌々つくるってどういう状況なんでしょう。
有賀 たとえば子どもに夕ご飯出さなきゃいけないとか、家族に朝ごはんをつくらなきゃいけないとか…。
坂口 うーん……つくりたくないと思いながらつくるのはやめたほうがいいですよね。僕は子どもにも、自分がつくりたくない時は「つくらないよ」と言います。
有賀 ちゃんと言葉で自分の気持ちを伝えるんだ。
坂口 それから「自分でご飯つくる?どうする?」って聞く。うん、それしかないですよ。
有賀 似たようなことを、私も息子が8歳くらいのときの夏休みに試してみたことがあります。5000円をわたして、「夏休み中のお昼をつくってね」と課したんです。家にある食材はなんでも使っていいし、残ったお金は全部お小遣いにしていい、と決めたら、息子は毎日お昼をつくってくれました。「あぁ、これでもいけるんだ」って思ったんですよね。
坂口 それ、いいですね。
有賀 嫌々のもとには、自分以外が料理をしないという状況があるのかもしれません。なぜ家族が料理をしてくれないのかを考えると、ひとつにはキッチンが「いつも料理をする人」にとって牙城化していて、入りづらいせいもあるんじゃないかと思って。
坂口 台所に対してのガードを、ちょっと緩めてもらわないとね。
有賀 それで、私の家でも、あることを実践してみたんです。去年の4月に自宅をリフォームしたのですが、食卓である95センチ四方のテーブルに、上下水道、IH調理器、食器洗浄機を組み込んで、簡単な料理と食事、片付けがオールインワンで出来るようになっています。
坂口 つくったら、そのまま食べるテーブルに変わるんですね。
有賀 そうそう。私は仕事柄ずっと料理をしているから、まずは「料理をすること」に対しての自分の欲求を考えてみたんですね。
私は料理は大好きだけれど、片付けが嫌いなんです。片付けが待っていると思うと、食事の途中から気が重くなるほど(笑)。そこで、テーブルに食洗機を組み込んで、すぐに片付けが済むようにしてみたら、食事が最後まで楽しくなったんです。
たったこれだけのことで生活は変わるんだ、というふうに思って。だから、道具を変えたり、キッチンの配置を見直したりして、自分の欲求に従ってみるだけでも、料理に対する気持ちは変わるかもしれません。
坂口 加えて、料理をしたくないときに意思表示できるボードでも作ってみたらいいんじゃないでしょうか。それを掲げて「今日は料理できないです、すみません!」って。その時に、その代わりやりたいことをちゃんとやってくださいよ、って僕はよく言うんだけど。やりたくない、つまんないって言って人生終わらないでくださいよって。