本は後ろから読む
——ブログ書評を拝見していますが、知識量と着眼点のすばらしさに圧倒されます。
池田信夫(以下、池田) 僕の本『使える経済書100冊』(NHK出版生活人新書)では、読書には「投資」と「消費」の2種類があると言っているんですが、僕にとって読書はほとんど「投資」ですね。こういう仕事をしていて、しかも毎週1本書評を書かなきゃいけないので。愉しんで本を読むということはこの数年ありません(笑)。小説はまず読まなくなったな。
——テレビの報道局にいらっしゃった経験は、今の読書習慣に影響していますか?
池田 いや、NHKにいたころはあまり読みませんでした。僕がいたのは基本的に報道局ですが、「ニュースセンター9時」のようなデイリー番組を作る時は、そもそも読むヒマがない。制作に3カ月くらいかける「NHKスペシャル」などを手がける時は、下調べの段階ではそれなりに読みますが、何といってもジャーナリズムなので、むしろ人に直接会ったり電話で話を聞いたりすることが大半でした。嫌味に聞こえるかもしれませんが、NHKの名刺があれば大抵の人には会えたんですよ。難しい本を読むよりも、その本の著者に電話1本かければ話がすんじゃう。ある意味ではすごく楽に勉強できたけれど、逆に言うと、じっくり本格的な勉強はできなかった。
僕は1993年にNHKを辞めて大学院の修士課程に入るんですが、大学院生って時間が余るほどあるんですね。だから本を読むしかない。サラリーマン時代にはしんどくて読まなかった専門書を、39歳になってから読む。あれはいい経験になった。
ジャーナリストが追うのは「フロー」の知識です。しかもNHKの番組では間違いが絶対許されませんから、とにかくファクトチェックに労力を取られる。これが結構しんどい。そうした環境を離れた3年間の大学院生活は、今振り返るとすごく役に立ちました。
——会社勤めの若い人たちに読書術をアドバイスするとしたら?
池田 「読書時間の捻出は思い切ってやれ」でしょうね。どうにかしてまとまった時間を作って、「本を読む他にすることがない状況」を作ること。多忙なサラリーマンの細切れ時間では、軽い本しか読めませんし、それでは「ストック」になりません。
それから、やっぱり英語の本を怖がらず読む癖をつけたほうがいい。本当に大事で新しい情報は、今でも英語でしか入ってきません。
もう1つ、本を読むときに一番重要なこと。それは、1冊の本のなかで自分に本当に必要なのはせいぜい2割くらいなので、そのポイントをちゃんと見つけて読む。その要領を身につけることです。これは洋書を読む時も同じです。
僕の読み方を紹介すると、本は後ろから読む。まず結論を読んで、「だいたいわかった」と思ったらそれでOK。ちょっと納得いかなければ、前に遡って読む。そのテーマで本を書く時なんかは、順を追ってしっかり読みますが、そうでなければ、僕は2割くらいですませるようにしています。あとは目的をはっきりさせて読むことですね。
本の探し方ですが、僕の仕事だと、本の巻末にある参考文献から、参照元をたどって芋づる式に辿って読むことが多い。ランダムに読んでもあまり意味がないです。
『ブラック・スワン』著者が説く、テールリスク問題
——最近読んだ中で、面白い本があれば教えてください。
池田 圧倒的に面白かったのは、『ブラック・スワン』(ダイヤモンド社)の著者ナシーム・ニコラス・タレブの新刊『Antifragile』(未訳)です。『ブラック・スワン』よりちょっと難しいけど、さらに面白い。いわゆる「テールリスク」つまり普通の人が気づかない大きなリスクが、どのようなメカニズムで出現するかを理論的に論じている本です。
この問題は、日本ではほとんど論じられていません。財政破綻といったテールリスクを、普通の人は見ようとしない。いや、ある意味では、見ないほうが合理的なんです。外を歩いていれば上から物が落ちてくるリスクは常にありますが、だからといって頭上に注意しながら歩く人はいませんから。ところが、グリーンスパンの金融政策のように、テールリスクをまったく考えずに日常業務だけをやっていると、大きな落とし穴がある。
政治を考える上でも、これは重要なポイントです。政治家も国民も、たとえば「財政破綻」なんてものはどこか遠い所にある問題で、自分だけは大丈夫と思っている。皆がそう思っているから問題は先送りされ、その挙句にどこかでドカンとツケが来る——。そういう構造になっているんです。
これは近代国家の根本にある問題だと僕は思います。近代国家というのは、ある意味では、内乱や犯罪といった「小さな変化」を徹底的に抑え込むシステムです。しかし世の中には潜在的な「変化」にあふれていますから、どこかでそれがドカンと表出する。バブル、金融危機、原発、あるいは自然災害。表に出てくるまで普通の人は気づかないんだけれど、客観的に見ると、そういうことが起こるメカニズムというのは、タレブの理論でそれなりに説明できるんですね。
タレブがNHKで言っていたことですが、日本人は小さな変化を一生懸命抑え込もうとしすぎる。コンプライアンスも過剰で、ちょっとした問題でも全部潰そうとする。前例を徹底的に踏襲して、とにかく今まで通りにやっていく。そうすると、どこかで根本的な見落としをしてしまうのだと。「小さな変化を抑え込もうとするあまり、結果的に大きなリスクを負う」というテールリスク問題は、とりわけ日本人が考えるべきテーマだと思いますね。
——ぜひ読んでみます。ありがとうございます。
「人間はお互いに殺し合う存在である」という点から社会を考える
池田 あと最近僕が関心があるのは、人類がいかに暴力や戦争をコントロールしてきたか、というテーマです。
昔ながらの社会科学の図式だと、「政治」や「宗教」が上部構造で、それを支える下部構造がたとえば「経済」、という理解ですよね。でも僕は最近、そうじゃないと思っている。むしろ、政治や宗教や国家といった「暴力を管理するシステム」が社会の基盤にまずあって、これが上に乗っかっている経済などを大きく規定している——。そういう図式なんじゃないかと。
要するに、「人間はとにかく殺し合う存在である」というのが前提としてあり、それを防ぐために国家や宗教や政治という仕組みができたのだ、という話ですね。旧石器時代には、人類の15%は殺し合いで命を落としていたんです。ルソーは「人間は昔は小さな村で仲良く牧歌的に暮らしていたけれど、そこに悪い奴が入ってきて階級闘争が始まったのだ」と言いましたが、実際は逆なんですよ(笑)。
これは昔から何人かが議論しています。最近の本で言えば、アザー・ガット『文明と戦争』(中央公論新社)、ニコラス・ウェイド『宗教を生み出す本能』(NTT出版)、そして皆さんご存じの進化心理学者、スティーブン・ピンカーの新刊『The Better Angels of Our Nature』(未訳)もそうですね。
その中でも、フランシス・フクヤマの新刊『The Origins of Political Order』(未訳)は特に面白かった。
フランシス・フクヤマの新刊『The Origins of Political Order』(邦訳は講談社より今秋刊行予定)
この本の中で、中国史と西洋史を「戦争」という切り口から比較している箇所があります。紀元前3世紀に秦が全土統一を果たすまでの550年間、中国は大戦争状態でした。この期間で1200もの戦争があったらしい。中国が専制国家なのは、こうした歴史を経て、戦争を完全に抑え込もうとした結果なのだと言います。
他方の西洋はそこから1500年ほど遅れて、同じような大戦争状態を300年ほどやった。しかし中国のようにヨーロッパ全域を統治する国家はできず、いくつかの主権国家に分かれて統治するようになります。
中国ではいったん王朝が全土を平定してしまうと300年ほどは平和ですが、西洋では常に国家同士が互いに警戒し合い、大小の戦争が続きます。
「平和」という意味では中国のほうが優れていて文明も成熟するけれど、最終的には戦争を繰り返している西洋が「平和国家・中国」を凌駕したというストーリーですね。
「人間はお互いに殺し合う存在である」という点から社会を考えるという話。これはね、これから大きな議論になりそうな気がしますよ。
——日本の政治家もこういう議論をしないといけませんね。
池田 「いかに戦争に備えるか」というのが国家の中心機能なのに、そもそも憲法でそれが否定されているような国家ですから(笑)。日本の政治がなぜダメかというと、平和憲法で間に合っているくらいのんびり暮らしているから。政治家に緊張感が求められていないわけですよ。(了)
アゴラ研究所所長。経済評論家。1953年京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを歴任。学術博士(慶應義塾大学)。SBI大学院大学客員教授。「池田信夫blog」の他、言論プラットホーム「アゴラ」を主宰。著書に『イノベーションとは何か』(東洋経済新報社)、『「空気」の構造』(白水社)、共著に『「日本史」の終わり』(PHP研究所)など多数。Twitter: @ikedanob