料理は自分の気持ちを高めてくれるもの
有賀 『cook』にも書かれていますが、坂口さんは前の夜に「明日の3食はこれを食べよう」って決めてから寝ていましたよね。
坂口 僕が料理日記をつけていたときは、自分が鬱の状態にあったので、「明日が来ないでほしい」と思っていたんです。明日が来ても苦しいし、どうせ変わらないだろうからって。でも、なぜか「明日は何を料理しよう」だけは考えられたんですよ。
有賀 鬱と料理を切り離せたのですね。
坂口 なぜなのかは、僕にもわからないんですけど、食べないといけないからでしょうかね。鬱のときでも、食欲だけはそれほど変わらなかった。食べたくないものは食べないんですけど。
そういうときには、渋い味付けの「かぼちゃの煮物」あたりは受け付けなくて。美味しそうなパスタとか、ハンバーグとか、サンドイッチとかが良いみたい。なんとなく、僕の気持ちを高めるのはホテルで提供されていそうな食べ物なんでしょうね。たとえば、ハイアット リージェンシーなどのホテルのカフェで出されるクラブハウスサンドイッチとか。僕はホテルでそういうのを食べながら、ゆったりしている時って、現実から浮遊して楽しい世界にいる気分になれるんです。
有賀 『cook』に書かれていたのも、坂口さんにとっては「気持ちが上がる料理たち」なんですね。
坂口 それが大事なんです。僕の中で料理はホスピタリティなので。生きていくために食べるのではなく、自分の気持ちを高めてくれるものです。
有賀 レシピを書いているときも似ていて、やっぱり実用的な料理ばかりだとつまらなくなっちゃうんですよね。「つくったら楽しそうかな」とか、「美味しそうで食べてみたいな」とか思えるものを、現実性を崩さずに含められるかが大事だと思っています。
自分の”いまの欲求”に応えるのが料理
有賀 「料理をしたくない」という気持ちとの向き合い方も、「これならつくりたい」と思えるものから入ってみると変わってきますかね。
坂口 変わると思いますよ。鬱の人も「したくない」と言うんですよ。何をやっていいのかわからない、やりたいことが考えられなくなるものなので。でも、そういう人でも話してみると「食べたいもの」は思い浮かびます。
坂口 僕は電話番号を公開していて、死にたいと思っている人たちの話を聞く「いのっちの電話」というのをやっているんですが、電話してきた人たちに何をしているかというと、「今すぐやること、1日かけてやること、1週間かけてやること」を一緒に作ってあげるんです。 すると、彼らは行動し始めます。
有賀 坂口さんが明日の料理を前の晩に決めていたように。
坂口 そうそう。そういう人たちに「手元にお金があって、なんでもリクエストに応えてくれるシェフが目の前にいたとしたら、何をお願いする?」なんて聞いてみると、みんなささやかだけれどメニューが出てくる。明太子パスタとか。
有賀 いいですね、明太子パスタ!
坂口 それに「オーダー入りました!」って答えて、僕なりの作り方を教えることもあります。
有賀 電話口で?
坂口 うん。僕の経験による明太子パスタのコツは、レモンを半分個くらい、がっつりと擦ってかけること。
有賀 あ、これは意見が分かれるところじゃない? 私は、しそ派(笑)。
坂口 しそもいいですけどね(笑)。でも、ほら、僕の基準はホテルにあるようなメニューだから。海外だとレモンはいろんなものについてきますけど、日本だと「気持ちがちょっと上がるもの」なんだと思うんですよ。
だから、電話口でもレモンだけは買ってきてもらうとして、「食べたらまた電話してね」とお願いする。食べた報告までがセットになると、相手にとってもタスクになるので、手を動かしやすいんです。
有賀 一人では食べたいものがないと思っていたとしても、坂口さんと対話して自分の内面を掘り下げていくことで、浮かんでくるのかもしれないですね。一人でも、その対話はできるものですか?
坂口 本当はできるんですよ。でも、「時短」とか「義務感」とかを考えてしまったり、料理をしたときの家族の反応が鈍かったりすると、浮かばないかもしれない。それは、やっぱり「自分が作りたいもの」を念頭に置いてイメージしないせいでしょうね。昔は「ちょっとブイヤベースでもつくってみるか」なんて、はっきりとしたイメージがあったはずです。
だから正しくは、イメージしていないというより、視力検査で焦点が合っていないときみたいに、自分の内面がぼんやりとしか見えていない状態なんだと思いますよ。つまり、人間があまり考えていないのは、「今、自分が何をしたいか」なんです。
有賀 昨日をくよくよ思い出したり、明日のことを考えたりはするけど、「今」ですね。
坂口 僕は鬱だけでなく躁の傾向も持っているのですが、僕の躁鬱にとって「今」が心地いいことは、実はほぼ生命線といえます。
だから僕は朝、目覚めたら、傍らにフェアリーみたいな存在を思い浮かべて、「恭平さん、今日、あなたはなんでもすることができるの。そしたら、あなたは何がしたいの?」って問いかけてもらう。
したいことが浮かんだら、フェアリーは「それを午前中に、まずやりましょう!」と言ってくれます。こういう風に、まずやりたいことをやると、体にいいんですよ。僕にとっては料理も、その一つですね。
有賀 自分の、今の欲求にダイレクトに応えられるのも、料理の根源的な価値ですよね。そもそもお腹が空いて「食べたい」と感じる本能があって、それを満たしてあげるのが料理という手段ですから。
自分の感覚を頼りにすると料理は楽しくなる
有賀 ホテルのメニューみたいに食べたいものをイメージすることはできても、それを実際につくれるかは、また別の話ですよね。さまざまな美味しいものをつくれる坂口さんが、どこで料理を覚えたのか、気になります。お子さんのときから料理はしていたんですか?
坂口 ままごとみたいなのは参加してましたけど、初めて料理をしたのは……たぶん中学1年生くらいですね。テレビで周富徳さんが、炒飯の作り方を教えているのを見て、自分でも中華鍋を振ってみたのが始まり。
有賀 それは自分のために? それとも、家族のため?
坂口 土曜日につくっていたから、みんなで食べてました。でも、もっと大きい体験は、やっぱり大好きなレストランのメニューがあったことかも。
熊本にあった「デーブス」というお店の「ビーフwithライス」です。牛肉のサイコロステーキにバターで炒めたご飯、オリーブオイルと塩のサラダ、コンソメスープのセット。これが日曜日に親が連れて行ってくれる、しゃれたランチだったんですよ。そういう好きなものがあって、僕はそれをつくりたかった。
有賀 まずは「つくりたい」っていう思いが、坂口さんを料理に向かわせたんですね。私は、「何をつくりたいのか」をイメージして、自分の感覚を頼りにするのって、料理にとってすごく大事だと思っています。
料理をあまりしない人は、「切るにはどうすればいい?どのくらい炒める?」と手順を気にしがちで、自分の感覚を意識していないですよね。それだと料理は、やっぱりつまらなくなっていく。
白身魚をスーッと引く手触り、焼いて立ち上ってきた香り、肉を切った断面の美しさ……そういうことを感じられると、料理もすごく楽しくなると思っていて。料理のさまざまな過程から、いろんなことをキャッチできる「受信感度」を高めていくのがポイントというか。
坂口 「いのっちの電話」で相談を受けているときも、「にんじんはどうやって切ればいいんですか?」と聞かれたら、「どんな形のにんじんを食べたいの? 神経質なくらいちっちゃい感じか、それともズバンズバンと大振りな感じ?」って、逆に質問しますね。
そんなことは、自分が食べるんだから、やりたいようにやったらいいんです。細かいのがいいと思うんだったら、細かく切ればいい。それだけなんです。そうやって、みんなが独自の料理を見つけたらいいんじゃないですかね。
有賀 そうなっていくと楽しいですよね。独自の料理という話でいうと、私もみなさんから「なぜ、あれほどスープのレシピを思いつくんですか?」と聞かれるんですけど、実はパターンそのものは多くないんですよ。
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