お酒を飲めるようになって久しくなると、「これはまずいな」という雰囲気が察知できるようになってくる。相手の目の焦点が合わなくなってきたり、眉尻に力をいれてまぶたを開けようとする顔を見ると、私の中で黄色信号が灯る。
午前3時ごろ。居酒屋で始発を待っている時だった。酔っ払った人間はどんな攻撃をしてくるのかわからない。身構えつつ頬杖をついていると、目の前の男友達はまぶたをうっすら開けながらこう言った。
「お前はいいよなぁ? 書く内容のある、濃い人生を送ってて」
どうやら、私の文章を褒めてくれているようだったが、酔いにまかせて出た言葉は、居酒屋の床に吐き捨てられた唾みたいに見えた。
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私はcakesのクリエイターコンテストで遺品整理のエッセイを書いて連載を持たせてもらうことになったものの、「エッセイは書きたくない。インタビューがやりたい」とわがままを言っていた。
理由は「一般人である自分の身に起こることを書いても、面白くないのではないか」と思っていたからだ。noteにエッセイを書くのは、完全な趣味。知名度も専門知識もない自分が商品としてのエッセイを書いたところで、自己陶酔のイタい文章になるだけではないか。だったら面白い話を誰かから聞くインタビューの方がずっと自信がある。
そんな風に駄々をこねつつも、神泉の駅前にある居酒屋で6時間ほど説き伏せられて、結局エッセイの連載に着地した。
確かその直前には、「代々木公園の周りを走ると思いのほか起伏があって、埋立地の地元と全然違う」という、取るに足らない話をしていた。「人工的なものに郷愁を覚える点」「人生のほとんどが東京で完結していること」が面白いから大丈夫、とのことだった。スペシャルさのかけらもない会話から、この連載がスタートしたわけだ。
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それから2年が経ち、気がつくと「エッセイ」は人気ジャンルになり、書き手も多くなっていた。誰でも無料で始められて、仕事になることもある。そういうチャンスが、SNSの登場以降とても増えた。エッセイは機材もいらないし、特殊な知識も必要ない。アウトプットをする中で最も敷居の低いジャンルだろう。もちろん、私もその恩恵に預かった1人だ。
最近Twitterでトレンド入りするエッセイは、「特殊な経験」をもとに書かれた文章が目につく。犯罪に遭いそうになったとか、特殊な環境に身を置いてるとか、破滅的な恋愛をしたとか、こんなレアな体験をしたとか、「渾身の一撃」がエッセイに込められ、注目を集める。面白い経験をしてる人がたくさんいるんだなぁと思う一方、冒頭の男友達の一言が頭に浮かぶ。
「書く内容のある、濃い人生」
特殊な経験を書いた渾身の一撃は、華やかに見える。どんなに辛いものであったとしても、平凡な日常よりもドラマチックだ。
「持つ者」「持たざる者」という区別は、多くの場合「才能」のことを指すのだろうけれど、今や「スペシャルな経験」こそが、クリエイターになるためのチケットになっているのかもしれない。
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先日、noteと文藝春秋主催のイベントに登壇させてもらった打ち上げでのことだった。「スペシャルな経験をしないと、エッセイは書けない。そういう傾向が強くなってきていると感じる」と話を切りだすと、文藝春秋の編集者であるMさんはこう話してくれた。
「僕は、このトレンドに少し懐疑的で、エッセイは特殊な経験に頼りすぎるのはどうかと思っているんです。ダメというわけではなくて、経験が先行するのは違う気がします。それに、エッセイは日常的なことを書くのも醍醐味だと思っている」
一線で活躍する編集者から、自分の疑問に対する答えが聞けて安心した。
ふと、以前インタビューした朝井リョウさんの言葉を思い出す。彼は「スペシャルな経験がないことがコンプレックスだった」「自分は最大公約数側の人間である自覚がある」としながら、こう話してくれた。
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