蘭ちゃんへ
こんにちは!
ううう、こちらも気が滅入っていました。先日は全国で大雨による被害もあって、コロナウイルスもまた感染の拡大がどうなるかわからない中で、ニュースを見ては暗澹たる気持ちになります。未来がわからないというのは不安になるよね。
前回の蘭ちゃんの日記にも、計画(未来)と希望について書かれていたね。(映画『パラサイト』、わたしも観ました!)
それで言うと、わたしは計画をたてるのが昔からほんとうに下手です。仕事でチームでやることを決めたりするのはむしろ得意なのだけど、自分のこととなるとまったくダメ。
「将来の夢」が書けなかったのと同じように、「計画」「抱負」「未来」「希望」ぜんぶ苦手でした。「先のことはどうなるかわからないから、考えても仕方ない」という思いがつよく、考えることを避けていました。ほとんど恐れていたのだと思います。
で、最近気がついたのだけど、「したいけどできないこと、ほしいけど手に入らないものは、自分が怖れているから」ではないかなと。
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たとえば、具体的にわたしが「ほしいけど手に入らないもの」のひとつに、「お金」があります。
子どもの頃から、お金を理由に自由を制限されることが多かったからか、お金という存在が怖いのだと思います。何をするにも親に「お金がかかる」とイヤな顔をされたりして、お金がかかることはよくないこと=自分が好きなことをするのはよくないことだと思い込んでいたのかもしれません。
子供は大人にお金の話を出されると、どうにもできないので、黙るしかありません。だから、小学生の頃から、はやく自分でお金を稼げるようになりたい、自立してひとり暮らしをしたい、と思っていました。
今思えばそれは立派な「やりたいこと」で「計画」だけど、その頃からすでに動機が「お金がほしい」ではなく「お金がないと困る」だったし、「大人になりたい」という憧れではなく「子供は不自由でイヤだ」という不満だったので、我ながら苦笑いです。
「お金がほしい」は、いいものを集める感覚だとしたら、「お金がないと困る」は、困らないための手段なので、お金をいいものだと思えず、怖いものになったのは、ここから来ているのかもしれないな。
そのせいか、わたしはいつもお金に意識が強くありました。シングルマザーという立場で人一倍お金を稼がないといけないのも、どれだけ稼いでも安心できないのも、怖いからなのだろうな。実際にはじゅうぶんに持っていて、他人から見ると「大丈夫だよ、ちゃんと持ってるじゃん」という状況であっても、いつも気が抜けませんでした。
「ほしいけど手に入らない」というより、ほしいはずが、怖くて目を背けているから、あってもなくても直視できていないような感じがします。ちゃんと見ないから、なんだかやっつけるように集めて、掴めないし、大事にもしていない。なんなら自分から捨てるように手放していることもあるような……(オカルト)。
今回のコロナウイルスによる影響は、収入が止まってゼロになり、何もしていなくても固定費でお金が減り続けるという悪夢のような出来事で、「お金が怖い」が現実に降りかかるホラーのようでした。そりゃ疲れるはずだよね。おつかれ、わたし。
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将来や未来について考えるのが苦手なのも、未来が怖かったのでしょうね。いいものが待っていると思えず、恐る恐る進んだり、やっつけるように進んできました。
そんな中、わたしにとって唯一の「未来」が、娘でした。子供は、産まれたら、何もなければ確実に2年経ったら2歳になるし、10年経ったら10歳になります。わたしは彼女のたったひとりの責任者なので、先のことも考えないといけません。自分の未来について考えるのは怖いけど、絶対的な未来が近くにあったので、それに乗っかって考えることができたのはラッキーでした。
会社を辞めて自分で仕事をつくったときも、2年かけてじっくりちゃんと計画を立てられたのは、子供の未来について考えたからでした。親子ふたりをチームとして、子供を夢組に見立てて、わたしが叶え組になったから、計画が立てられたのだと思います。根っからの叶え組だよね。
そうだ、前回教えてくれた蘭ちゃんの新しい夢、「『書く』ことを人に教える」というの、とてもいいね。何がいいって、自分を救済するために書いていた蘭ちゃんが、そこでつけた力や経験を、さらに言葉にして、人のために使おうとしているのがとてもいい。
これぞ、夢組が走りきった先に、「叶え組要素」がでてきた瞬間だと思うよ。
教えること自体が「いいこと」なのではなくて(いいことなんだけどね)、自分が今までしてきたことを「いいもの」に変換できたのが、他人事ながらうれしいです。だって、それって自己肯定だよね。自分を肯定しながら他人の役に立てるの、最高だよね。
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「サクちゃんは今、将来の夢はありますか?」と聞いてくれたので、わたしも考えてみました。
来年、娘が高校を卒業します。もうほぼ大人です。そうなると、親子という名チームでのわたしの役割もほとんど終了します。
そこで、親子とはまたちがう形で、誰かとチームを組めたらいいなと思っています。今のところ、それは恋人や夫婦のようなイメージです。
実は、さっき書いた「ほしいけど手に入らないもの」はもうひとつあって、それは「親密な関係性」なのです。
自分が子どもの頃に、いちばん身近な親子という関係性にあまりいい思い出がなく、実際に「はやく離れたい」と自立を望んでいたのもあって、ごく身近な位置に他人がいることをどこか怖れていたのだと思います。
実際に「怖い」と感じて逃げていたわけではなくて、結果的に、すこし離れた位置関係の好きな人はたくさんいるけれど、なぜかごく身近にはいないんだよなーと思って、これも「望んでいるはずなのに手に入らない」案件なのかな、と最近発見しました。これを「関係性のドーナツ化現象」と名付けました。
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