※これまでのお話は<こちら>から。
人が亡くなると、一息ついている間もない。
今朝病院から連絡を受けて駆けつけ、お昼すぎに母が息を引き取った。そしてその夕方には自宅で葬儀の打ち合わせをしている。なんという長い1日なのだろう。
今までこういう行事を執り仕切ってくれていた母は、もういない。
そして喪主は父ではなく、兄だ。とにかく弟も含めた私たち三兄弟でなんとかしなければならない。
母のいないこの世界で、はじめて私たちに課せられた「お葬式」というミッション。それはまるで、母からの宿題のようだった。
母の体に会いに行く
― 2018年 父66歳 母62歳 私33歳 ―
冬はお葬式が多いようで、近所の斎場にはなかなか空きがない。結局家から少し離れた斎場に決めたが、それでもお通夜は5日後になるという。少し先だったが、この5日間は結果的に、式に使うものを手作りしたり心の準備をする猶予にもなった。
母が逝って3日が経ち、私は安置所にいる母の体に会うため、予約を入れた。しかしいざ出かけようと思ったら土壇場で洗濯物を干していないことを思い出したり、電話が入って対応しているうちに、中身の入っていない水筒をカバンに入れたり、鍵が見つからなかったり。いつも通りな部分もあるが、当社比3倍くらいでポンコツになっている。忌引きというものはこういうときのためにあるのだろうと思った。こんな状態じゃ、とても仕事はできない。
なんとか安置所に到着し、母のいる部屋まで案内される。部屋は少しひんやりとして、母の口や首元には霜がおりていた。母が好きだったミントのお茶を持ってきていたので、それをタオルに含ませて、少し口と首元を拭いた。
母の好きな音楽を流しながら、私は母の体に話しかけた。
私も母もおしゃべりで、二人での会話はいつも、お互いが被さるくらいに素早く展開されていた。途中からはお互い勝手に自分の話をしているだけなのだが、そんな風に話しても、母は私の話をいつもちゃんと覚えていた。今まですかさず返って来ていた返事は、今日はもう返ってこない。自分の声だけが部屋に響いて、なんだか心もとない気持ちになる。
「お母さんの昔の写真集めたよ。恥ずかしいかもしれないけど、来た人に見てもらうからね」
式の準備で昔のアルバムを探していたら、思いがけない写真を見つけた。母は昔、忌野清志郎の追っかけをしていたことがあると聞いてはいた。だがまさかキヨシローとのツーショット写真があるとは思わなかった…! 恋する乙女のようにはにかむ母と、20代前半のキヨシローが並ぶ、それはそれは微笑ましい写真だった。
いったいどんな経緯で撮られたものなのか、母が見たらきっと事細かにそのときのエピソードを教えてくれただろう。もう今はそれを聞くこともできない。
「もっと聞きたかったな。なんでもっと、話さなかったんだろうね。」
本人を目の前にして言えなかったことが、今になってどんどん溢れてくる。
少し後悔が残っていること、寂しいこと、悲しいこと。色々大変なことがあっても、母を恨むという思いは微塵もなく、これからもないこと。とにかく大好きで、感謝していること。自分が倒れないようには努めるから、どうか安心してほしいということ…。
母に語りかけるように、次々と吐露した。それは自分に言い聞かせているようでもあった。
「もうお母さんに会いたいよ…。離れてまだ3日なのにね。」
帰り際、もう一度ミントのお茶で母の唇を湿らせ、私は安置所を出た。
あと数日で、母の体は焼かれる。いよいよ目の前から、その姿がなくなってしまうのかと思うと、つらさがこみ上げた。
母の体がそこにあるだけで、もう母自身はそこにいないんだと、自分に言い聞かせる。
そう思わなければ、今保存されている母の体があまりにも寒そうだし、体が焼かれるのは熱いんじゃないかと思えてしまう。まだどこか、母の体を母と切り離せない自分がいた。
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