下手に神宿る
私が初めて田の神さあを見たのは、もうずいぶん昔のことで、えびの市を観光した際、面白い石像があると聞き、市役所で地図をもらって回ったのだった。
そうして最初に見つけたのが、哀愁たのかんである。漫画かと思った。石に悲しげな顔が描いてあり、小屋を掛けられて大事に守られていたが、悪いけどこんなのオレでも描けるぞ、と 思った。
次に見たのが、観光パンフレットにもよく登場する人気ナンバーワンたのかんで、赤と白の派手な彩色が施され、やはり大事に小屋掛けされていたが、やはりほとんど技術のいらない感じの出来具合で、このふたつを見た段階で、これはいいものを知ったと早くも虜になったのだった。
真剣に作られたヘンテコは心に響く
世にヘタウマと評される絵や像はいろいろあって、私はそういうものが大好物なのだが、それを好きかどうか判断をするとき、絶対譲れない基準がある。それは真剣であるかどうかというこ とだ。
見るものを和ませようとして作ったのではない、まして笑わせようとして作ったのでは決してない、ちゃんと真面目な動機があって、真剣に作られたものであること。それが絶対条件である。そのうえで、もし作り手に高い技術があればこうはならなかったであろう表現が発現しているとき、私は強く惹かれてしまう。
だから今出来のいかにもほっこりとしたニコニコ顔のお地蔵さんなど見ると、いかにもこういうので心和みますよねという作為が透けて見えて、そんなもんで癒されるかあ!と蹴飛ばしたくなるのだが、それと比べて田の神さあは真剣に下手であるのが気に入った。下手だからこそ止むに止まれぬ願いのようなものが籠もっているのが感じられ、かえってそのヘンテコ具合が心に響くのだった。
今回あらためて田の神さあを見て回ると、いろんなタイプがあることを知った。むしろ石ころに顔を描いただけみたいな田の神は珍しいようだ。おかげで最初に見た田の神(哀愁たのかん)の好感度はますます高まった。
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