なぜ言葉にならないことを言葉に置換するのか【後編】

アウシュビッツの悲劇のように、言葉だけでは伝わらないない重要なことはある。後編は、言葉にならない重大な体験を、言葉にしようともがくのはなぜなのか。その重要性にせまります。
広大なネット空間から無限の情報を引き出せる時代、私たちはどのように「うまく生きていく=検索をかける」べきなのか。縦横無尽に活躍を続ける評論家・東浩紀さんによる連載放談、第5回は星星峡(幻冬舎)2013年4月号掲載分です。 第6回から最新回までを更新している、【第2期】も併せてお楽しみください。

アウシュヴィッツから「フクシマ」へ

 当時、ぼくは東大駒場の表象文化論専攻という大学院に所属していました。表象文化論というのは、簡単にいえば、絵画や映画、文学、建築などを「記号の構造」に焦点を当てて分析する学問です。表象文化論ではよく「表象不可能性」という問題が取り上げられます。これは、巨大なカタストロフィやトラウマのように、その複雑さ深刻さゆえに、単純な記録に残すのではその本質が伝えられないような物事のことです。
 戦後、知的世界をリードしたフランスやドイツの思想家たちは、みな第二次大戦への切実な反省から、表象不可能性の問題を重視し考察していきました。そのなかでもつねに最大のテーマとして横たわっていたのが、ほかならぬアウシュヴィッツです。ぼくの専門である哲学者ジャック・デリダも、思想家として、またひとりのユダヤ人として、アウシュヴィッツと向き合っていました。

 震災以降、ぼくが福島第一原発の事故と、その二五年前に起きたチェルノブイリの事故について深い関心を持っているのも、そのような学問と共通する問題意識があるからだと思います。ただ、ホロコーストと原発事故はどちらも巨大な悲劇ですが、違うところもある。ホロコーストでは加害と被害の関係が明確なのに対して(歴史修正主義者と呼ばれる、そもそもホロコーストはなかったという主張をするひともいるにはいるのですが)、チェルノブイリや福島の事故では、健康被害と放射能漏れの因果関係を証明することが難しい。
 結局は統計の解釈になってしまうので、加害と被害の関係をそう簡単には言葉にすることができない。実際、事故から四半世紀が経ったいまでも、チェルノブイリの死者数については諸説ある。おそらく五〇年後、一〇〇年後にも、チェルノブイリや「フクシマ」の被害者数は定まっていないでしょう。

 しかし、そこで因果関係がどうあろうと、原発事故によって傷ついたひと、生活の場が奪われたひとがたくさんいることは間違いない。そして、そのような「科学的な因果関係では言語化できない」痛みを言葉に置き換えていくのも、また哲学や思想の役割ではある。
 かつてヨーロッパの知識人たちが、アウシュヴィッツという表象不可能な体験、つまり「言葉にできない体験」を言葉にすることに尽力したのと同じように、ぼくもまた、たまたまではあれ福島第一原発事故のような大きな事件に遭遇したからには、似た責務を負っていると考えています。

 いまぼくは「福島第一原発観光地化計画」というプロジェクトを進めていますが、その裏には以上のような問題意識があります。「観光地化」というのは強い言葉で、一見突飛な提案のように見えるかもしれませんが、これもまた、表象できないものを強引に表象するために考えたプロジェクトだ、と説明すれば、もう少しわかりやすくなるかもしれません。計画の詳細については、もし興味があればウェブサイトを見てみてください。

言葉にならないものを探す旅

 ぼくたちが毎日のように接しているインターネットは、すべて記号でできている世界です。音声や映像が扱えるようになっても同じで、結局は人間が作った記号だけでできている。そうしたなかで、「表象不可能なもの」についての思考はふたたび重要性をましている。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes・note会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

ケイクス

この連載について

初回を読む
検索ワードをさがす旅【第1期】

東浩紀

検索すればあらゆることがわかる時代。日々たくさんの情報に埋もれているけれど、果たして本当に欲しい情報はなんなのか。その検索ワードはどこから思いついたのか。テーマはズバリ、「若者よ、スマホを持って旅へ出よ」。ただし、自分や目的を探すので...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

ntatsuya19 “要は、記号を扱いつつも、記号にならないものがこの世界にあることへの怖れを忘れるな、ということ” 4年以上前 replyretweetfavorite

larcfortdunord オシフィエンチム、それは死の記録。言葉の重さを知ることが哲学。 4年以上前 replyretweetfavorite