「パパ、このオモチャ買って。みんな持ってるんだよ!」
「3年連続顧客満足度ナンバーワン! 自動車保険なら〇〇保険」
「なんでみんな使ってるiPhoneにしないの?」
これらの主張の共通点、それが「多数論証」という屁理屈です。
「えっ、こんなのも屁理屈? 普通じゃないの?」と思われた方もいるでしょう。しかし、こうした「数の論理」によって、「したがってX(子どもにオモチャを買ってあげる/〇〇保険と契約する/iPhoneに替える)が正しい」と主張するのも、立派な屁理屈です。
むしろ、多数論証を屁理屈と感じないのであれば、私たちがいかに「数の論理」に慣らされているかを証明しているようなものです。
ここで考えてみてください。数の論理の代表が「多数決」ですが、多数決で決められたことはいつも正しいでしょうか? そんなことはありません。
ヒトラーもナチスも民主的な選挙、つまり多数決でドイツ国民に選ばれましたし、長い間揉めていた英国のEU離脱も国民投票で決まりました。そもそも多数決で何かを決めることが多い最大の理由は、その方が手っ取り早く決められる、つまり「効率的」だからです。
また、多数決で決める場合は「何を基準に選択するか」が明確でなければ、おかしなことになってしまいます。たとえば、会議でA・Bふたつのアイデアからひとつを多数決で選ぶとき、「どちらが優れたアイディアか」という基準が明確化されていなければ、「仕事が増えるのは嫌だから、自分が関わらなくて済む方に投票しよう」という人が何人も現れるはずです。
政治にしても「多数派になる=議席数増」が目的になり、与党の選挙対策や派閥抗争、そして野党の離合集散が目に余る状況になっています。
このように数の論理にはデメリットも多いわけですが、私たちは屁理屈と感じることなく多数論証を使い、またそれに従っています。その理由は、経験的にそのやり方に説得力があることがわかっているからです。「長いものには巻かれろ」や「勝ち馬に乗る」といったことわざがあるように、多数に従うのは「失敗する確率が低い」のです。
その考え方は「バンドワゴン効果」とも呼ばれ、マーケティングなどにも活用されています。先にご紹介した「3年連続顧客満足度ナンバーワン」は、まさにその一例です。他にも通販サイトの商品やグルメサイトで紹介されるお店についた星の数など、私たちは人物、商品、映画に飲食店、ホテルや観光地などを「多くの人が高く評価した」という数の論理に従って、「少なくとも悪くないだろう」と判断し、それを無難であると考えています。
本書で紹介した「権威論証=著名人のお墨付き」が得られない場合、その代替手段として「多数論証」が使われるケースも多々あります。もちろん、権威論証でも述べたように、多数論証そのものには利点もあります。自分が正しいと信じることを伝える「説得のテクニック」として使うのは「アリ」です。
しかし、権威論証にデマの拡散のようなリスクがあるのと同様に、多数論証にうかうかと乗っかることにも相応のリスクがあります。
それは「数の捏造」と「数の取り方」、そして「サクラ」です。
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